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  ようこそ 中原教会へいらっしゃいました

  教会はすべての人のために開かれています
  いつでもどなたでも
  自由に入って祈ることができます


cross.png 教会へいらっしゃいませんか?
  毎週日曜日に ミサ があります
  詳細は [初めて来られる方へ] をご覧ください
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  疲れた者、重荷を負う者は、
  だれでもわたしのもとに来なさい。
  休ませてあげよう。 マタイ11章

  cross.png灰の水曜日、聖週間の予定については、聖週間などの予定をご覧ください。

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cross.png 11月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
わけ       
理由アリでも!

 昔から「女心と秋の空」と言いますが、お天気が安定しません。台風の影響で紅葉の便りにも後遺症が強く残ってしまっているようです。季節を感じる心の余裕がないのか鈍いのか分かりませんが、秋の気配を素直に味わえないでいます。これも温暖化のせいでしょうか。
 いつも買い物をしているスーパーで「ワケアリりんご」を売っていました。相次いだ台風、特に台風19号によって甚大な被害を受けた長野県の特産品の「りんご」でした。勿論台風被害がなければ、このりんごは正規に市場に出回り「ワケアリ」などというレッテルを貼られる事なく並べられ、家庭の食卓に輝いて上った事でしょう。このりんごが出来るまでに一体どれ程の多くの人の手間暇や気遣いが掛かった事でしょうか。りんごの実を実らせる為のりんご農家の人々の、それこそ、りんご一個一個とのギリギリまでの関わりは欠かす事の出来ないものでしょう。いつもは、余りそのような事を考える事もなく食べていました。「ワケアリ」になってしまった今「ワケアリ」という言葉の持つ意味が私の中で大きくなりました。ベトナムには、こんな諺があります。「群れをなしている馬の中の一頭が草を食べない時は他の馬たちも草を食べることを拒否する」。(草を食べられない苦しみを共有するかの様です。)
 私たちは日々の生活の中で、被災者の痛みを十分心に留めて、それぞれ自分が出来ることで一生懸命助けようとする気持ちが強くなっていると思います。テレビでは、これまで広島や岡山での豪雨被害に様々な支援をしてくれた人々への恩返しの形で今回の台風の被害にあった方への支援や寄付行為が広がっていることを伝えていました。私たちはイザという時には、互いに助け合い、関わり合っています。そして分かち合い、助け合う時には、その人間の愛は、波がどんどん大きくなるように広がって行きます。もしかしたら、人間は大変な時がなければ人間の美しい心を生かして行くことは出来ないのかもしれません。
 教会カレンダーでは、年間の最後「死者の月」である11月を迎えました。11月に何よりの収穫、実りとして過去も今も未来も全部繋がっていることを再確認します。教会の交わりは、天国での勝利の「未来」と煉獄の苦しみの「過去」と旅する教会の「今」の現在です。その関わりの中で私たちは「今」を生きているのです。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しむ」(1コリント12:26)という聖パウロの言葉に問いかけられ、「死者の月」があるからこそ、私たちは交わりの神秘を深く味わい、旅する人とキリストの平和のうちに真に一致して、裂かれる事はないと確信しながら、互いの交わりを一層深めて行きます。
 「私は神様を見たいのです。見る為には、死ななければなりません」というイエスの聖テレジアの強い信仰に勇気づけられ、私たち一人ひとりの願いを振り返り、どんな「ワケアリ」があっても、希望のうちに、旅を続けて参りましょう。


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2019.11.03 Sunday
cross.png 10月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
何もない中にあるもの

 今年は、朝晩の秋風を感じながらも、夏の初めから今日まで厳しい暑さが続いています。自然災害だけではなく、それと連動しているかのような事件や事故が起きています。特に大人に抗えない幼い子供たちが凄絶な被害を受けた事件に心塞がる思いをしたのは私だけではないでしょう。今この時もキャンプ場の森の中で行方不明になっているたった7歳の少女をどれだけ多くの人が必死になって探し、待っていることでしょう。神に祈る度、命の大切さを痛感すると同時に、神の働きを改めて考えてしまいます。大型の台風・大雨・強風は、人々に甚大な被害をもたらしました。商売を諦め止めた人、農家の人々は今年の秋の収穫は何も望めないのか、人間の力ではどうにも出来ないのか、と半ばあきらめています。そんなニュースばかりの中で、97歳で大病を患いながらも、現在も元気な瀬戸内寂聴さんが、「私にとって幸せとは死ぬまで好きなことをやり続けること」とテレビで話しておられました。彼女の話や思いは多くの人を惹き付け、生きる勇気と希望を、それもさりげなく、時にはユーモラスに伝えておられます。年齢を重ね、病気を重ね、すべて頂いたものを神に返して自身は空っぽになりながらも、一方でどれ程心の落ち着き、安らぎといったお金では買えないものを頂いていることでしょう。私にとっては大きな励ましと救いでした。目には見えない豊かさがヒシヒシと感じられました。持っているすべてを破壊され、流されてしまった後に残るものは諦めや絶望感ではなく、新たな希望と逞しさなのです。私たち人間の目には実りは何もないと思っても、何もない中にこそ豊かな収穫があることに、苦しい日々は気付ける目と心が養われたのかもしれません。Barack Obamaは「私たちは、息をしている間、希望します」と言いました。
 そして、聖パウロは「見えるものに対する希望は希望ではありません。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマ8:24)と言っています。間もなくお迎えする教皇様の38年ぶりの訪日という貴重な目に見える形を通して、何を神からのメッセージとして受け止めることが出来るでしょうか。
 ロザリオの月であるこの10月に、聖母マリアと共に、ロザリオの祈りの力に支えられる私たちです。「涙のうちに種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる」という忍耐力と希望を持って、日々の生活の中のどんな出来事にも示される神のみ旨を感じ豊かに生きることが出来ますように、祈って参りましょう。


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2019.10.05 Saturday

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