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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
明るい『令』に前進して

 昨年一年を振りかえると、気温の激しい変動を始めとして、自然災害に数多く見舞われ、未だに元のようには復活できない被害を被った年でした。それでも、時は過ぎ、冷たい夜の空には澄んだ月、煌めく星と、この時期だからこその美しい自然は変わりません。そんな中で、新たな希望の一年が始まりました。「新年、おめでとうございます。」
 さて、私は毎年年末に選ばれ、高名なお坊さまによって書かれる今年の漢字に関心があります。たった漢字一文字でその年を特徴づけて表すことが出来るということに驚いています。昨年は「令」という漢字でした。日本の国が「令和」の時代に変わり、多くの人々がこの一文字の持つイメージによって心も新たに生きて行こうとしている感じがします。調べてみますと、この漢字には「良い・立派な・めでたい」という積極的な意味もありました。
 また、初めて見たことばで印象に残ったのですが「令望」という言葉には「良い評判」、「名声」という意味合いもあるそうです。正に「令」という文字は、これからの新しい時代、特に東京オリンピック開催で世界の人々が一層近づいて輪になり、一層親しみが増すことを皆が期待しています。そういう時にしっかりと良い方向へ、明るい希望を持って生きて行く、という素晴らしい意味を持っている「令」の字を知り、例年以上に心に深く残りました。何故なら「希望は神がすべての人の額に描いた言葉です」とヴィクトル・ユーゴーが言い表している通り、どんなことが起こっても、悲しみや苦しみの中から這い上がれないと思っても、私たちには「希望」が与えられているからです。この希望こそが、信仰生活の支えです。これを無くすことは出来ません。
 私たちは「自分の望む善を行わず、望まない悪を行っている」(ローマ書7:19)者であり「心の中でうめきながら神の子とされることを待ち望み、この望みによって救われているのです。」(ローマ書8:23b)
 これらのパウロの言葉に支えられ、私たちは明るい希望を持って、よりキリストに近づいて行くことを目指して行きたいものです。信仰の面でも弱い私たちは色々あって諦めてしまうこともありますが、2020年という新鮮な一年が始まる「世界平和の日」に当たって、教皇フランシスコは誰よりキリスト者の私たち一人ひとりが「平和の職人」であるようにと切に願い、呼びかけておられるように思います。希望は私たちが道を歩む時も、障害があって歩めなくなった時にも翼を与えてくださるのです。
 私たちは、度々体が厳しい気候について行けないことがあります。又信じられないような出来事に翻弄されることもあります。これから中原教会小教区としても様々な厳しい現実を受けとめ、積極的に新たなチャレンジをしなければならないこともあるかも知れません。神のご加護に信頼して、怖れずに明るい気持で挑戦して行きましょう。教皇フランシスコと共に、教皇フランシスコの来日で頂いた力を支えに、そして祈りのうちに「令和」の時代にあるより良いものを目指し希望のうちに歩んで参りたいと思います。


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2019.12.31 Tuesday
cross.png 12月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
ワンチーム

 今年は例年より雨の多い一年だったような気がします。そのためか、暖冬とは言え、寒さも徐々に深まって来て、この時期になって、有名な紅葉の名所だけではなく、この近所でも精一杯紅葉を誇っているような樹々が観られます。紅葉して落ちた葉はその後静かにその樹の根元に積もりその樹を守ります。素直に、自然界の様々な営みにはいつもある種の感動を覚えます。

 様々な自然災害が次々と起った中で、大きな活躍を見せて、私たちを励まし、力を与えてくれた日本のラグビーチームのキャプテンが発言した「ONE TEAM ワンチーム」が、見事に今年の「流行語大賞」として選ばれました。「みんなが勇気づけられるような明るい言葉を多くの人々は望んでいる」という多様性の時代の先取りとして、尊重することの大切さを表すものと解釈されたのです。ラグビーは、誰か一人スター選手がいるというのではなく、何よりチームワークを大切にしてそれぞれの体や性格にあったポジションでそれぞれの役割を果たすスポーツです。正に「ワンチーム」です。そして、この「ワンチーム」という「お互いのために自分の力を出し合い、助け合う」という生き方は様々な分野で生かしていくことが出来ると思います。「塵も積もれば山となる」の言葉通り、時間をかけてチームワークを育てて行く時の礎とも目標ともなる言葉です。

 まだまだフランシスコ教皇様ご訪日の興奮が覚めやらないうちに12月に入り、教会典礼暦では新しい一年が始まりました。日本で教皇様が示してくださったことを思い起こしますと、何か例年とは異なった思いになるのは私だけではないでしょう。小さな子供や障害をもつ子供を抱き上げて祝福し優しく微笑まれるフランシスコ教皇のお姿を見て、会衆の歓声が一斉に沸き立った瞬間でした。その時は正に「この地球上で見捨てられ、忘れ去られた人々を救い出すため、私たちを助けてください」とラウダート・シに記された教皇様のアピールです。教皇様の「すべての命を守る」と言うアピールに「ワンチーム」になることが自分の人生を愛し、自分の愛する人生を生きることと強く重なり感動しました。またその決意を新たに致しました。

 「私たちは皆、神の子に対する信仰と知識に於いて一つのものとなり、成熟して人間になり、キリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13)
 ある神父様がカトリック新聞に書いておられた通り「ラグビー日本代表は教会の姿」です。フランシスコ教皇様が示してくださった道を、私たち中原教会共同体もお互いを支え合い、尊重し合い、助け合って「ワンチーム」となって進んで行くことが出来ますように、新たな気持で待降節だけではなく新しい教会典礼暦年をも過ごして参りたいと思います。


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2019.12.08 Sunday
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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
わけ       
理由アリでも!

 昔から「女心と秋の空」と言いますが、お天気が安定しません。台風の影響で紅葉の便りにも後遺症が強く残ってしまっているようです。季節を感じる心の余裕がないのか鈍いのか分かりませんが、秋の気配を素直に味わえないでいます。これも温暖化のせいでしょうか。
 いつも買い物をしているスーパーで「ワケアリりんご」を売っていました。相次いだ台風、特に台風19号によって甚大な被害を受けた長野県の特産品の「りんご」でした。勿論台風被害がなければ、このりんごは正規に市場に出回り「ワケアリ」などというレッテルを貼られる事なく並べられ、家庭の食卓に輝いて上った事でしょう。このりんごが出来るまでに一体どれ程の多くの人の手間暇や気遣いが掛かった事でしょうか。りんごの実を実らせる為のりんご農家の人々の、それこそ、りんご一個一個とのギリギリまでの関わりは欠かす事の出来ないものでしょう。いつもは、余りそのような事を考える事もなく食べていました。「ワケアリ」になってしまった今「ワケアリ」という言葉の持つ意味が私の中で大きくなりました。ベトナムには、こんな諺があります。「群れをなしている馬の中の一頭が草を食べない時は他の馬たちも草を食べることを拒否する」。(草を食べられない苦しみを共有するかの様です。)
 私たちは日々の生活の中で、被災者の痛みを十分心に留めて、それぞれ自分が出来ることで一生懸命助けようとする気持ちが強くなっていると思います。テレビでは、これまで広島や岡山での豪雨被害に様々な支援をしてくれた人々への恩返しの形で今回の台風の被害にあった方への支援や寄付行為が広がっていることを伝えていました。私たちはイザという時には、互いに助け合い、関わり合っています。そして分かち合い、助け合う時には、その人間の愛は、波がどんどん大きくなるように広がって行きます。もしかしたら、人間は大変な時がなければ人間の美しい心を生かして行くことは出来ないのかもしれません。
 教会カレンダーでは、年間の最後「死者の月」である11月を迎えました。11月に何よりの収穫、実りとして過去も今も未来も全部繋がっていることを再確認します。教会の交わりは、天国での勝利の「未来」と煉獄の苦しみの「過去」と旅する教会の「今」の現在です。その関わりの中で私たちは「今」を生きているのです。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しむ」(1コリント12:26)という聖パウロの言葉に問いかけられ、「死者の月」があるからこそ、私たちは交わりの神秘を深く味わい、旅する人とキリストの平和のうちに真に一致して、裂かれる事はないと確信しながら、互いの交わりを一層深めて行きます。
 「私は神様を見たいのです。見る為には、死ななければなりません」というイエスの聖テレジアの強い信仰に勇気づけられ、私たち一人ひとりの願いを振り返り、どんな「ワケアリ」があっても、希望のうちに、旅を続けて参りましょう。


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2019.11.03 Sunday
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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
何もない中にあるもの

 今年は、朝晩の秋風を感じながらも、夏の初めから今日まで厳しい暑さが続いています。自然災害だけではなく、それと連動しているかのような事件や事故が起きています。特に大人に抗えない幼い子供たちが凄絶な被害を受けた事件に心塞がる思いをしたのは私だけではないでしょう。今この時もキャンプ場の森の中で行方不明になっているたった7歳の少女をどれだけ多くの人が必死になって探し、待っていることでしょう。神に祈る度、命の大切さを痛感すると同時に、神の働きを改めて考えてしまいます。大型の台風・大雨・強風は、人々に甚大な被害をもたらしました。商売を諦め止めた人、農家の人々は今年の秋の収穫は何も望めないのか、人間の力ではどうにも出来ないのか、と半ばあきらめています。そんなニュースばかりの中で、97歳で大病を患いながらも、現在も元気な瀬戸内寂聴さんが、「私にとって幸せとは死ぬまで好きなことをやり続けること」とテレビで話しておられました。彼女の話や思いは多くの人を惹き付け、生きる勇気と希望を、それもさりげなく、時にはユーモラスに伝えておられます。年齢を重ね、病気を重ね、すべて頂いたものを神に返して自身は空っぽになりながらも、一方でどれ程心の落ち着き、安らぎといったお金では買えないものを頂いていることでしょう。私にとっては大きな励ましと救いでした。目には見えない豊かさがヒシヒシと感じられました。持っているすべてを破壊され、流されてしまった後に残るものは諦めや絶望感ではなく、新たな希望と逞しさなのです。私たち人間の目には実りは何もないと思っても、何もない中にこそ豊かな収穫があることに、苦しい日々は気付ける目と心が養われたのかもしれません。Barack Obamaは「私たちは、息をしている間、希望します」と言いました。
 そして、聖パウロは「見えるものに対する希望は希望ではありません。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマ8:24)と言っています。間もなくお迎えする教皇様の38年ぶりの訪日という貴重な目に見える形を通して、何を神からのメッセージとして受け止めることが出来るでしょうか。
 ロザリオの月であるこの10月に、聖母マリアと共に、ロザリオの祈りの力に支えられる私たちです。「涙のうちに種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる」という忍耐力と希望を持って、日々の生活の中のどんな出来事にも示される神のみ旨を感じ豊かに生きることが出来ますように、祈って参りましょう。


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2019.10.05 Saturday
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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
再び「だん・しゃ・り」を!

 八月後半に、アマゾンの大規模森林火災によって「地球の肺」と呼ばれるアマゾンの広範囲の緑が消失されました。また猛烈な暑さが長く続いた日本の夏でした。そして更に「これまでに経験したことのないような大雨になる」と頻繁に呼びかけられる報道がありました。この異常気象をきっかけに人間の私たちは、自然環境を無視していることを深く反省して、自然を大切に育むために責任を取らなければなりません。
 教皇フランシスコは毎年九月の第一日曜日を「被造物を大切にする祈願日」と定めておられます。恵まれたこの地に住んでいる私たちは自然の脅威に脅かせられながらも、何とか2ヶ月以上続いてきた暑い夏の季節を秋の気配の中で乗り越えようとしています。九月という夏の締めくくりの時期は「食欲の秋」「収穫の秋」を迎える為には、やるべき事をやらなくてはなりません。
 葡萄や梨などの実りを楽しみにする季節を考えますと、農業の分野では、どれ程水の大切さ、栄養の必要性を知っていても、ただ水を注ぎ栄養を与えているだけなら、葉を育てることは出来ても、実をつけさせることは出来ません。因みに、私は植物の緑色が大好きです。司祭館で沢山の植物を育て、日々葉の色が濃くなることを楽しんでいます。野菜や果物を栽培する人々にとっては、葉の色が濃くならず、実も出来なければ、死活問題です。農家の人々は一番良いものを収穫する為に勇気を持って、どんなに綺麗な葉であっても、キラキラ光る小さな実でも間引いて、捨てることで、初めて一番大切なものを蓄える力が大きくなり、より美味しく、実らせることが出来るのです。自然界においても、良い実りの為には断わる・捨てる・離れる、つまり「だん・しゃ・り」が必要なのです。秋の新学期を迎える子供たちも運動会の準備等を通して、自分の怠け心・弱い心を捨て、皆と協力して団体行動や健康な体作りの大切さを知る良い機会です。
 正にキリスト者も、イエスに従っていく時に、この自然界を見倣って、妨げるものを断ち、捨て去り、離れることで一層成熟して行きたいものです。この「断捨離」は勿論、私たちの力や技術だけで行うものではなく、聖霊の働き、神の力に助けられながら行い、悪いものを乗り越え、豊かに実らせることが出来るのです。「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。」(ヨハネ15:1‐2a)というイエスの言葉を心に留めたいと思います。九月の秋の爽やかさと豊かな実りを待ち望みながら、自分の生活の中で勇気を持って、自分にとっての、キリスト者としての「だん・しゃ・り」を捧げて参りましょう。


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2019.09.16 Monday

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