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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
パンデミック中の復活祭

 今年は異常気象のせいか、早々に桜の開花宣言がありました。そうしているうちに雪が降り、雨が降り、風が吹き、桜も盛りを過ぎていきます。多くの新入生も新社会人も新型コロナウイルス蔓延により、いつものような桜の始まりの時とはなりませんでした。わたしもいつもは精一杯寒さの中で芽吹く花々に励まされ、日射しの中に春を見つけ、吹く風にも季節の移り変りを感じていたのに、と残念な思いです。コロナウイルスの脅威が私たちの前に立ちはだかり、桜が満開でも楽しめず、待ちに待った春を楽しむどころではありません。因みに、教会の桜は聖週間には最高に花を咲かせてくれ、私たちと共に主のご復活を味わい、祝う準備が出来ていました。
 私はこのようなこともあるのだ、と自分自身に言い聞かせながらも、信徒の皆さんとミサを捧げることの出来ない主日、いわば「主日のミサの断食」という大きな犠牲を経験しました。勿論、新型コロナウイルスの蔓延を食い止めるためにそうせざるを得なかったからです。共に集い、共に捧げるミサが無く、苦しく辛い思いをしたのは当然信徒の皆さんも同じです。私は改めて主日毎に、教会で皆さんと集える喜びを強く感じました。信徒の皆さんの存在価値、どれ程皆さんに支えられているか、ということを思い知らされました。
 教会だけではなく、私たちの生活の隅々に至るまでコロナウイルスに影響されています。一般社会を見ても、特に新学期や新年度を迎えるに当たって、学校に行けない子供たち、仕事に行けない大人たち、暖かくなり、やっと気軽に外出しようと思っていた人々が家から出られません。ウイルスはもはや誰か一人の病気ではなく、パンデミックという世界中の人々の命を奪う危険な存在になっています。
 私たちの社会は大きく変化せざるを得ません。喜びのうちに迎えようとしていたオリンピックも延期を余儀なくされ、残念に思ったり、戸惑ったり、不安に思っている方も大勢います。いつも当たり前と思って過ごしていた日々は、本当に神様からの大きな恵みだったことに改めて気付かされました。そして思いもよらない状況の中で、今私たちは出来ることを、勇気を持って行い、多くのことに気付かされました。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れる時には、称賛と光栄と誉とをもたらすのです。」(1ペトロ1:7)で分かるように、今は私たちが頂いた信仰を生きる意味を改めて見つめ直す良い機会です。日々の祈りの持つ力を発揮すべき時です。キリスト者としてそれぞれの場にいながらも、信仰に結ばれ、祈りへの信頼を失わず祈り続けて行く時です。
 今世界中にコロナウイルスが広がり、人々が危機にある時に、キリスト者である私たちは、「あなたがたは、起ろうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21-36)というみ言葉を心に留めなければなりません。この状況に戸惑いながらも何とか前向きに進んで行かなければなりません。教皇フランシスコも様々な形で私たちに呼びかけ共に心を合わせて祈ることを強く勧めておられます。
 多くの感染者と犠牲者を出しているイタリアで、ある歌手は「わたしは生まれ変わる。あなたも生まれ変わる」と歌い、生きる人々への希望を響かせています。私たち共同体も一人ひとりが「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」(1ペトロ1:3)という揺るぎない信仰を持って、迎えるご復活には、神様に笑顔を向けることが出来ますように祈りましょう。教会からお知らせしている具体的な祈り・行いを通し、一層豊かに心を一つにして過ごして参りましょう。
 主のご復活を心からお祝いいたします。


追加
 イタリアのフランシスカン大学(フランシスコ会の大学)の一人の司祭が大学校内にあるチャペルの扉に白いリボンをかけ、大学を離れざるを得ない学生たちに「わたしは決してあなたがたを忘れない」「この中にはいつも司祭が、キリストがあなたがたを待っている」というメッセージを伝えようとしているという英字記事がありました。また、著名なビルゲイツさんも、この出来事を通して日々忘れがちなスピリチュアルな面に気付くことが出来るようにというメッセージを発信しています。彼らの受けとめ方から私たちも考える機会としたいと思い、ここに掲載し、紹介させて頂きます。

Ribbons; I will never forget you, by Father Dave Pivonka

 リボンは長い間記憶の印でした。リボンは私たちが誰かを、それが囚人であっても、兵士であっても、病気の友人であっても、その人たちを忘れていないことを世界に伝えます。私はここのフランシスカン大学にあるキングチャペルとポルティウンクラチャペルの扉に白いリボンを結びました。彼らの司祭と彼らの神が彼らを忘れていないことを私たちのコミュニティに思い出させるためです。司祭や司教である友人にも同じように呼びかけました。すると彼らは、より多くの司祭や司教たちに私たちと同じようにするよう呼びかけます。
 私の希望は、カトリック信者が教会を歩いたり、車で通り過ぎたりすると、白いリボンが見え、司祭たちが彼らのために祈っていることを知り、その人たちがドアを開けて戻って来る日を待っていることです。また、彼らがそれらのリボンを見た時に、イエスもその日を待っていることを彼らが知っていることも願っています。彼は私たちがもう一度集まることができる日を待ち望んでおり、そして再び、秘跡のうちに私たち全員と一緒にいることができるのです。
 その日はまだここには来ていません。昔のイスラエル人のように、カトリック信者はもう少しさまよう必要があります。しかしイエスは私たちを孤児にしておくわけではありません。彼はまだ私たちと一緒におられます。彼の言葉である私たちの聖書の中におられます。私たちと共に暮らし、共に働き、またはオンラインで出会う人々と共におられるのです。彼は祈りと沈黙の中に、そして彼の創造の美しさの中に私たちと共におられ、やがて春がやってくると彼を讃えて歌うのです。

 それらすべての場所でイエスを探してください。あなたがいるところでイエスを探してください。そして、教会の扉にぶら下がっている白いリボンを見たら、イザヤ書第49章15節の「わたしは決してあなたがたを忘れない」という神の約束を思い出してください。
 混沌と混乱と狂気の真っ只中で、それらのリボンがあなたの司祭がまだあなたと共にいることを、イエスがあなたと共におられることを思い出させてくれるでしょう。そして、近い将来、この流刑が終了し、教会が再開し、司祭たちがそこに立って、喜んであなたを迎える準備が出来ていることを思い出させてくれるでしょう。


ビルゲイツ氏新型コロナウイルスから学べること。

 彼はこう書きました。私たちの身の回りで起きること。良いことであろうと悪いことであろうと、そのすべてにスピリチュアルな目的があると、私は強く信じています。これに関して、瞑想する中で、今回のコロナウイルスに対して感じた私の思いを皆様方に伝えたいと思います。

1) 私たちは皆平等であることを想起させてくれます。文化や宗教、職業の違い、そして経済状況、有名人かどうかも関係ありません。この病気は我々全員に平等に追って来ます。私たちもこの病気同様、全ての人々に対して平等に向かうべきなのかもしれません。私を信じないならトム・ハンクスに聞いてみて下さい。

2) 私たちはすべて繋がっています。ある人に影響があれば、他の人にも影響があるということを思い出させてくれます。このウイルスはパスポートなしで国境を超えます。我々がこれまで作り上げて来た国境と境界線にはほとんど意味がないことを示しているんじゃないでしょうか。私たちが短時間抑圧されることによって人生そのものが抑圧されている多くの人々が存在していることを思い出させてくれます。

3) 私たちにとって、健康がいかに大切なことかを思い出させてくれます。化学物質で汚染された添加物だらけの栄養素の乏しい食品や飲料水を摂るのが当たり前になっています。健康管理をおろそかにすると勿論病気になるわけです。

4) 人生の短さ、そして私たちにとって最も大切なものは何なのかを思い出させてくれます。今回のような異常状態で大切なことは、高齢者や体が弱い人々への思いやりや助け合う気持ちです。パニックになってトイレットペーパーを買い占めることではありません。

5) 私たちの社会が、いかに唯物論的になってしまったかを思い出させてくれます。困難な時こそ、生活に本当に必要なもの(食品・水・薬)を気づかせてくれます。私たちが物欲のおもむくまま欲しがる贅沢品とは対照的な品々です。

6) 家族、そして家庭生活がいかに大切かを思い出させてくれます。今回のような事態を受けて、強制的に家庭に留まることは、家族との絆を強化することに繋がるのではないでしょうか。

7) 私たちの真の仕事というものは、社会的職業ではなく日頃の行いではないでしょうか。私たちがすべき本当の仕事はお互いの面倒を見、お互いを守り、そしてお互いに利益をもたらすことではないでしょうか。

8) 自分たちのエゴを常に認識し合うこと。自分がいかに素晴らしいか、あるいは他人がどれだけ自分を褒めようが、ウイルスが私たちの世界をすぐに止めてしまう可能性は常に存在します。

9) 私たちの自由意志はすぐそこにあります。買いだめに走るなど、自分のことしか考えないのか、もしくは、お互い協力し合い助け合い、共有しあい、サポートし合うことを選ぶのか。困難な時こそ、本当の自分が出ます。

10) 我慢強さを見せるのか、パニックに陥るのか。こういう事態は歴史上、何度も起きており、いつも必ず治って来ました。絶対に過ぎると理解するのか。あるいはパニックに陥り、この世の終わりと捉え、より一層の害をもたらすのか。私たち次第だということを思い出させてくれます。

11) 世の終わりか、あるいは新たな始まりなのか?反省、理解そして間違いから学ぶもの等、立ち止まって考える良い機会かもしれない。新しい歴史のサイクルが始まる良いレッスンになる可能性があります。

12) 私たちの地球そのものが病気ではないのか?トイレットペーパーが棚からなくなる早さを見る感覚で、森林破壊の早さを認識するべきでしょう。私たちが病気になるのは、私たちの地球 (家) が病気だからです。

13) あらゆる困難の後には、いつも安らぎが来ます。人生は自然循環の中にあり、大きなサイクルの中のほんの一部でしかありません。 パニックに陥る必要はまったくありません。 こんな困難の事態も必ず過ぎる日がやってきます。

14) 多くの人々が 新型コロナウイルスを大災害だと捉えていますが、私は *大修正* の良い機会だと思っています。コロナウイルスは私たちが忘れてしまった大切なことを思い出させるためのレッスンをもたらしてくれたのではないでしょうか。今回のことを将来にどう生かすか。それは私たち次第です。

 
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2020.04.03 Friday
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信徒大会に向けて

教会委員長
 私は昨年11月24日(日)王であるキリストの祭日のフランシスコ教皇様司式ミサに長崎で与ってきました。当日は朝から激しい雷雨に見舞われる中、ミサの会場となっていた長崎県営野球場では傘をさすことが禁じられていたため、レインコートを身に纏い、入場待ちの行列に1時間以上並び、やっとの思いで席に着くことができました。ごミサが始まる前に会場内で、「向こう側が晴れているから、これから晴れるよ。」と、中原教会のHさんの遠い空を指さしながらのお言葉に対して、長崎で6年間暮らした経験のある私は、「Hさんが仰っているのとは逆方向に雲は流れていくので、これからもっと雨はひどくなりますよ。」と答えました。ところが、ミサが始まる少し前に私の答えはものの見事に覆され、ものすごい晴天になり、ミサ中は日差しがあまりにも眩しく、日焼けしそうでした。

 38年前の1981年2月、当時高校3年生であった私は卒業式直前に、長崎では経験したことの無い猛吹雪で体がほとんど凍りかけている中、今回と同じ長崎市の松山陸上競技場(今回の野球場の隣)でヨハネ・パウロ2世教皇様司式のミサに与りましたが、教皇様の入場の時に猛吹雪がピタッと止んで晴れ間が出て、ミサ中はまた大雪、退場時にまた晴れ間が出た時のことが昨日のことのように思い出されました。参列した皆さんが奇跡みたいだねと口にされていました。ヨハネ・パウロ2世教皇様は母校の敷地内にある教会にもご訪問くださり、幸いにも私の眼の前で立ち止まられ、皆さんに手を振られた際、ご一緒に写真に写っています。隣におられた時、言葉では言い表せないような、とても神々しいというような不思議な感じがしたのを覚えています。

 今回、フランシスコ教皇様が来日され、長崎と東京でごミサを司式してくださるということになり、是非、中原教会の多くの皆さんに参加していただけたらと思っていたところ、webサイトでの申込み・抽選制という発表があり、中原教会としてどう対処しようかと悩み、トゥ神父様に相談に伺ったところ、「すぐにバスツアーを予約したほうがいい」とご回答いただき、すぐに参加予想人数を見積もり、ツアーを予約致しました。結果的には、見積もり人数どおりの参加者でホッと致しました。参加された皆さんは如何でしたか?
 まず、お会いできたことに喜びを感じられたとは思いますが、フランシスコ教皇様は来日を知らせるポスターにも記載されているように「あなたに話がある」とのことで私たちを招いておられます。そして私たちに多くのメッセージをくださいました。今回、お知らせに寄稿する際に、このメッセージを全て読み返し、その一部でも皆さんと分かち合えたらと思っていたのですが、とても間に合いませんでした。フランシスコ教皇様のメッセージを取り纏められた書籍やインターネット動画配信もありますので、それらで今一度、メッセージに耳を傾けていただけたらと思います。私の中に特に残っているのは教皇様の長崎市爆心地公園での以下のメッセージです。



 「今日、私たちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指すなかで、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。」



 近日中に中原教会の信徒大会を開催致します。私たちの教会ですので、教会のことに無関心にならず、信徒大会への出席は勿論、是非、教会委員の役目も率先して引き受けていただけたらと思います。よろしくお願い致します。


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2020.03.10 Tuesday
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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
わたしにとっての旧正月とは

 春の訪れを感じる日本に、ベトナムから帰って参りました。私の母国をはじめ、多くのアジアの国々では、中国の暦に従って、テット、すなわち旧正月を祝います。その日にちは毎年異なりますが、今年は1月25日でした。私も家族と旧正月を過ごして参りました。ベトナムの空港は、今年は新型コロナウイルスのせいか、マスクを着用した人たちで一杯でした。ある程度予想はしていましたが、コロナウイルスの脅威がこれ程とは、驚いてしまいました。丁度アジア各国の春節と重なり、多くの人々の移動により一層神経質なっているようです。春節という時を何より大事に考えて家族旅行をしたり、親戚に会いに行ったり来たりするのは、日本のお正月やお盆と同じように思えます。

 ベトナム人にとっても、テットはとても大切なものです。たった数日のお正月ですが、家族から離れて海外で生活していても、このテットの時は出来るだけ母国に帰ります。そしてベトナムのカトリック信者は「今日、わたしがあなたに命じるこのことばをあなたの心に留めておけ、あなたの子孫にも、これを教えるように努め、家に居る時も、道を歩く時も、寝る時も、起きている時も、これについて語れ」(申命記6:6₋7)を通して、伝統としてテットの五日間の不可欠なミサに与り、特別な晴れやかな雰囲気の時を過ごします。


 一日目(元旦)は、「神に感謝し、新年の平和を願い祈る」
 二日目は、「生きているか死んでいるかに関わらず、
       両親、祖父母、祖先を敬い、祈る」
 三日目は、「仕事を聖化し祈る」
 四日目は、「奉献生活を送る人々の為に祈る」
 そして五日目は、「家から離れて働く人々の為に祈る」


 年末にお墓掃除や飾りなどをし、元旦のミサが終わると家族の皆でお墓参りをして祈り、一番大事な家 (普通は親の家)に集まって、共に食事をし、お年玉を頂き、ビンゴなどをします。その後に、親戚、近所、同窓会、教会のそれぞれの活動の場など、一軒、一軒を回りながら「おめでとう」という気持ちで、互いに新年を迎えられたことを祝い宴会をします。これは互いに深い交わりを目的としています。
 日本人には理解出来ない程、ベトナム人にとって、テットは大切です。ですから旧正月が遅い時は、灰の水曜日に重なる場合もあります。厳しいベトナムのカトリック教会であっても、その時には灰の水曜日を前後に移動し、旧正月を優先してお祝いすることもあります。また1960年代の南北戦争中でさえも、テットをお祝いするために、お互いに一時的に停戦した程です。この旧正月を通して「キリスト者の家庭は、教会的交わりの特別な啓示であり、実現です。」(カテキズム2204項)を実行します。これは、カトリックの家庭は愛を守り、表現し、伝える使命を身につける大切な場でなければならないということです。

 日々変化する寒さや暖かさに体がついて行けず、不安に思う中でも、少しずつ春が近づいて来る喜びを待ちわびながら、大切な使命を心に留めて生活して参りたいと思います。そして何より新型コロナウイルスの感染がこれ以上広がらないように、また感染した人々の一日も早い回復を願わずにはいられません。


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2020.02.02 Sunday
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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
明るい『令』に前進して

 昨年一年を振りかえると、気温の激しい変動を始めとして、自然災害に数多く見舞われ、未だに元のようには復活できない被害を被った年でした。それでも、時は過ぎ、冷たい夜の空には澄んだ月、煌めく星と、この時期だからこその美しい自然は変わりません。そんな中で、新たな希望の一年が始まりました。「新年、おめでとうございます。」
 さて、私は毎年年末に選ばれ、高名なお坊さまによって書かれる今年の漢字に関心があります。たった漢字一文字でその年を特徴づけて表すことが出来るということに驚いています。昨年は「令」という漢字でした。日本の国が「令和」の時代に変わり、多くの人々がこの一文字の持つイメージによって心も新たに生きて行こうとしている感じがします。調べてみますと、この漢字には「良い・立派な・めでたい」という積極的な意味もありました。
 また、初めて見たことばで印象に残ったのですが「令望」という言葉には「良い評判」、「名声」という意味合いもあるそうです。正に「令」という文字は、これからの新しい時代、特に東京オリンピック開催で世界の人々が一層近づいて輪になり、一層親しみが増すことを皆が期待しています。そういう時にしっかりと良い方向へ、明るい希望を持って生きて行く、という素晴らしい意味を持っている「令」の字を知り、例年以上に心に深く残りました。何故なら「希望は神がすべての人の額に描いた言葉です」とヴィクトル・ユーゴーが言い表している通り、どんなことが起こっても、悲しみや苦しみの中から這い上がれないと思っても、私たちには「希望」が与えられているからです。この希望こそが、信仰生活の支えです。これを無くすことは出来ません。
 私たちは「自分の望む善を行わず、望まない悪を行っている」(ローマ書7:19)者であり「心の中でうめきながら神の子とされることを待ち望み、この望みによって救われているのです。」(ローマ書8:23b)
 これらのパウロの言葉に支えられ、私たちは明るい希望を持って、よりキリストに近づいて行くことを目指して行きたいものです。信仰の面でも弱い私たちは色々あって諦めてしまうこともありますが、2020年という新鮮な一年が始まる「世界平和の日」に当たって、教皇フランシスコは誰よりキリスト者の私たち一人ひとりが「平和の職人」であるようにと切に願い、呼びかけておられるように思います。希望は私たちが道を歩む時も、障害があって歩めなくなった時にも翼を与えてくださるのです。
 私たちは、度々体が厳しい気候について行けないことがあります。又信じられないような出来事に翻弄されることもあります。これから中原教会小教区としても様々な厳しい現実を受けとめ、積極的に新たなチャレンジをしなければならないこともあるかも知れません。神のご加護に信頼して、怖れずに明るい気持で挑戦して行きましょう。教皇フランシスコと共に、教皇フランシスコの来日で頂いた力を支えに、そして祈りのうちに「令和」の時代にあるより良いものを目指し希望のうちに歩んで参りたいと思います。


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2019.12.31 Tuesday
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トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
ワンチーム

 今年は例年より雨の多い一年だったような気がします。そのためか、暖冬とは言え、寒さも徐々に深まって来て、この時期になって、有名な紅葉の名所だけではなく、この近所でも精一杯紅葉を誇っているような樹々が観られます。紅葉して落ちた葉はその後静かにその樹の根元に積もりその樹を守ります。素直に、自然界の様々な営みにはいつもある種の感動を覚えます。

 様々な自然災害が次々と起った中で、大きな活躍を見せて、私たちを励まし、力を与えてくれた日本のラグビーチームのキャプテンが発言した「ONE TEAM ワンチーム」が、見事に今年の「流行語大賞」として選ばれました。「みんなが勇気づけられるような明るい言葉を多くの人々は望んでいる」という多様性の時代の先取りとして、尊重することの大切さを表すものと解釈されたのです。ラグビーは、誰か一人スター選手がいるというのではなく、何よりチームワークを大切にしてそれぞれの体や性格にあったポジションでそれぞれの役割を果たすスポーツです。正に「ワンチーム」です。そして、この「ワンチーム」という「お互いのために自分の力を出し合い、助け合う」という生き方は様々な分野で生かしていくことが出来ると思います。「塵も積もれば山となる」の言葉通り、時間をかけてチームワークを育てて行く時の礎とも目標ともなる言葉です。

 まだまだフランシスコ教皇様ご訪日の興奮が覚めやらないうちに12月に入り、教会典礼暦では新しい一年が始まりました。日本で教皇様が示してくださったことを思い起こしますと、何か例年とは異なった思いになるのは私だけではないでしょう。小さな子供や障害をもつ子供を抱き上げて祝福し優しく微笑まれるフランシスコ教皇のお姿を見て、会衆の歓声が一斉に沸き立った瞬間でした。その時は正に「この地球上で見捨てられ、忘れ去られた人々を救い出すため、私たちを助けてください」とラウダート・シに記された教皇様のアピールです。教皇様の「すべての命を守る」と言うアピールに「ワンチーム」になることが自分の人生を愛し、自分の愛する人生を生きることと強く重なり感動しました。またその決意を新たに致しました。

 「私たちは皆、神の子に対する信仰と知識に於いて一つのものとなり、成熟して人間になり、キリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13)
 ある神父様がカトリック新聞に書いておられた通り「ラグビー日本代表は教会の姿」です。フランシスコ教皇様が示してくださった道を、私たち中原教会共同体もお互いを支え合い、尊重し合い、助け合って「ワンチーム」となって進んで行くことが出来ますように、新たな気持で待降節だけではなく新しい教会典礼暦年をも過ごして参りたいと思います。


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2019.12.08 Sunday

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