cross.png 4月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
「元号」を生かして

 今年の輝く春は、温かい日差しを迎えるはずが、桜の花も冷たい風やにわか雨に打たれてお花見ができる期間が延びそうです。それでも、いつものように新年度を迎えて期待と不安の中、真新しいスーツと靴に身を包んだ新社会人や少し大きめの制服に大きな鞄を持っている中高校生たちの姿が目に映ります。この度新たに決まった新元号をドキドキと待ち望んでいた多くの人々は「令和」という新しい元号に新鮮さと驚きを感じたのでしょうか。
 この新年号である「令和」から受ける私の印象は、第二次世界大戦が終わった後に日本人のひたむきな努力による復興と繁栄とそして平和の「昭和」の時代、そこから受け継いだ安定した美しい元号「平成」の時代でした。これからも日本の大きな目的の一つである「平和」を命令と計画によって大切にしようと思える「令和」という元号には、日本が求め続けているものへの決意と覚悟を感じます。「あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり、つまずかせるものはありません。」(詩編119:165)
 私をはじめ多くの人々が知っている「昭和」「平成」そして新たな「令和」の三代に亘って共通して根底に流れている「平和」の為に、これからもお互いを尊重し合って、日本だけではなく世界の平和を維持し、貢献して永遠に平和を保っていかなければなりません。
 平和である事がどれ程大切か日本だけではなく世界中の大きな課題です。一歩間違えばいついかなる所でも戦争が起こりかねない世界情勢です。「令和」は日本の長い歴史の中で248番目の元号です。今の時代に日本から世界に発信出来る「平和」という大切なメッセージだと思います。
 この平和は口先だけのお題目ではありません。むしろ日常生活の隅々まで、そして元号の中にも表現されて、見いだされるものなのです。「キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、…遠く離れているあなたがたにも、また近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」(2エフェソ2:14‐17)とイエス・キリストがもたらしたものです。そして、今四旬節の時に祈りのうちに、この平和を体験している私たちは「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせる為に、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3:15)というみ言葉に照らされて渇ききっている人々の心を潤し、祈りながら一人ひとりに出来ることで平和を実現しましょう。皆さんが主の復活を一層味わうことが出来ますように祈っています。
 主のご復活、おめでとうございます。


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2019.04.07 Sunday
cross.png 3月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
一歩ずつ…

 三月と聞きますと寒さも少しずつ緩み、春の兆しがそこここに感じられます。教会の庭には、冬の間に固くなってしまった土の中に埋もれていた雑草が、いち早く逞しく生え始めています。土の中で新たな芽生えや成長のために、十分力を蓄えることが出来るのは、厳しい冬の寒さがあるからでしょうか。
 社会では、一年ずつ段階を昇っていく子供が新しい幼稚園や学校へ、厳しい冬を越えた受験生が新たな学びの場へ、学校生活を終った若者が社会へ、社会生活の区切りを迎えた人がそれぞれの人生の更なる場へと準備を整えて進んで行く時を間近にしています。
 その規則正しさは、日本の自然の移り変わりと関わりがあることをいつも心に深く感じます。目には見えなくても自然界ではこれ迄の時を振りかえり、次の季節への準備がいつもなされているのです。人間もまた、自然の一部であり、次のステージへと備える為には、これまでのあり方を振りかえる必要があります。
 人は掛け替えのない神様の傑作です。私たちは一人ひとり、いわば神様にこねて頂いて出来上がった器であり、その器をどのように使って生きるかは私たちに委ねられています。聖パウロは「各自で自分の行いを吟味してみなさい」(ガラテヤ6:4)と私たちに呼びかけています。
 一人の陶工がいつも土をこねて器の形を作り、それを焼く時、どんなに自分が過去の記録を見直し、様々な試行錯誤を重ねても、またどんなに精一杯力を入れても、心を込めて準備をしても、その焼き上がりは思うようにはならない、と言っていました。時には思いもしない出来映えで大喜びする事もあるそうですが、次にまた同じように出来る訳でもないのです。すべての条件が誰も気づかないうちに見事に整えられ、働き合う時があるとしか思えません。私たちはただ精一杯、そのときのために、今明日への最高の準備をするだけです。
 どんな時よりも間もなく迎える四旬節を通して自分自身と闘い、周りの人々と和解し、神への祈りを捧げるときです。そのためには、自分自身の振りかえりが必要です。それなしで前に進む事は出来ません。
 高温で何度も焼かれてより良い器が出来るように、回心を通して祈りに支えられながら、私たちの罪や弱さが救いの恵みに一歩ずつ変えられて行くのです。四旬節は正に「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2 コリント6:2)という聖パウロの言葉通りです。
 この恵みの時に、勇気を持って一歩一歩謙虚に振りかえり、一つ一つの行いをよく吟味する事によって、その後に来る輝かしい復活をよりよく味わいましょう。今こそ祈りのうちに、この時を大切に過して参りましょう。


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2019.04.07 Sunday
cross.png 2月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
感謝と喜びのうちに。

 暑いベトナムから2週間ぶりに帰って参りました。今年の日本の冬は寒くはあっても穏やかな冬の晴天が続いて有難い事と思っていました。しかし、反面インフルエンザの猛威の嵐の中、皆さんはどのように過ごしているのでしょうか。
 私事で恐縮ですが、この間、私の両親の結婚60周年、母の妹夫婦の50周年、叔父夫婦の25周年とお祝い事があり、大勢の人々と会い共に感謝のミサに与り、お祝いすることが出来ました。正に「私の為、また福音の為に家、兄弟、姉妹、母、父、畑を捨てたものは誰でも、今この世で迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け」(マルコ 10:24)というイエスの約束をヒシヒシと実感いたしました。
 そのミサを司式してくださったT司教様のお説教がとても印象に残りました。「一族の中で一度に、それも銀婚・金婚・ダイヤモンド婚というお祝いを重ねて迎える事は滅多にないことなので、大変驚き感動した。」そして「それこそ、結婚式の時に神のみ前で交わす誓約は神によって守られ、結婚生活の困難さも乗り越えることが出来る。」と強調されました。最後に「結婚生活そのものの中に司祭の奉献生活を生み出す土台と力がある。」とも言われました。 司教様の言葉を通して思い出す聖書箇所があります。それは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(2コリント 12:9)です。この聖書箇所の意味を身をもって教えてくれたのは両親の姿です。
 10年にも満たない私自身の司祭生活にも苦しい事、辛い事は沢山ありました。まして60年間男ばかり8人の子供と2人の男の養子を育てる事は体の弱い母にとってどれ程大変だった事かと言葉もありません。寡黙な父はその母をとても大切にしていました。どちらかと言うと、子供たちは父より母の方が親しみやすく甘えたがります。だから父親的には寂しかったかもしれません。でもそれぞれの弱点を通してお互いを大切にして、乗り越えて生きて来たと思います。両親が結婚生活を通して様々な犠牲を捧げて奉献生活を送って、私への模範を示してくれていたという事だと思います。結婚生活において「捨」てる事は、奉献生活においては、神が「拾」ってくださるという事だと思います。家庭崩壊が数多く見られる現代にあって、神のみ前での結婚の誓約を私たちは決して忘れてはなりません。
 ベトナムへの帰国は喜びと共に私の奉献生活への覚悟を新たにしてくれました。そんな私の気持ちを知っていたかのように、日本は凛とした寒さで、私の気持ちを更に引き締めてくれたようでした。日本の四季折々は私の日常生活と切り離すことは出来ません。特に1年の中でも2月は何もかもすべてが冷たさの中に静まり返っているようです。しかし冷たく思える土の中でも温かさを保ち1年の土台を作り、春という季節への芽吹きの準備が行われている時です。冷たさばかりに気を取られてその中にある喜びの恵みを受け止める心を失くさないように祈りましょう。


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2019.02.11 Monday
cross.png 1月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
そだねー

 新年明けましておめでとうございます。クリスマス直前に何の前触れもなく起ったインドネシアの津波には「平和の君」も驚かれた事でしょう。昨年を振り返りますと正に年末に選ばれた「災」という一字は誰の胸にも浮かんでくると思います。2018年は本当に災害の多い年でした。西日本豪雨や異常な厳しい夏の暑さ、また北海道地震、連続した巨大な台風等次々とありました。悲惨な出来事の度に、誰もが心深く傷つきました。でも大変な中にあっても、世界で起きた良い事嬉しい事にどれ程支え救われた事でしょうか。私の場合は、2月に韓国の平昌で行われたオリンピックで、初めて銅メダルを獲得した女子カーリングの選手たちの活躍でした。彼女たちが試合中に度々発した「そだねー」という言葉が流行語大賞に選ばれた時はメダルの色以上の喜びを感じました。
 「そだねー」と「災」の二つは関係ないように聞こえますが、この二つの言葉には、深い所で繋がっています。私たちの歩んで行く道と関係があるのです。私たちは、全てをありのままに受け入れた時、初めて新たな次の一歩を踏み出す事が出来るのです。ベトナム出身の私には「そだねー。」と言う言葉は耳に心地良く、何かいい感じで肯定的な感じに響きました。この言葉は北海道特有の言葉だそうです。素朴で自然で暖かい雰囲気のある言葉です。大変な試合中も仲良くお互いを支え合っていかなければ「災」つまり試合という緊張する場面を乗り越える事は出来ません。「そだねー」にはホッとして更なる力を引き出す事が出来るのだと思います。カーリング選手の活躍は応援していた人々をより励まし、逆に希望・勇気を貰った人も多かったのではないでしょうか。
 災の中にあっても「そだねー」と受け入れ合い、支え合い、それで一歩前に進むことが出来たと思うのです。日本の新しい年にはいつもとは異なる新しい事が待ち受けています。平和を希求して名付けられた「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味を持つ「平成」という30年続いた年号が間もなく終り、新たな年号になります。どんな年号になるのか興味深いです。どんなことがあっても「平和」が続き、より一層成熟して行く社会・国を私たちは心から願っています。
 私たちの教会も、毎年1月1日を「世界平和の日」として人となられた神の子イエス「平和の君」に聖母を通して平和を祈り求め、絶えず平和を大切に築いていく決意を新たにします。今年の教皇フランシスコ様のメッセージの中で「平和は、詩人シャルル・ペギーが語る希望、すなわち暴力という石の間で咲こうとする、か弱い花のようなものです。」と述べられています。第一の条件として相互の信頼なしに平和はあり得ません。私たちの共同体も一人ひとり平和を共有していく事の大切さを受け継ぎ、イエスが残してくださった「私は平和をあなたがたに残し、私の平和を与える(ヨハネ 14:27)」をいつも心から願い「そだねー」と互いに受け入れ合い、支え合って信頼しながら一日一日を共に歩んで行く覚悟を致しましょう。新しい一年が希望に満ちあふれ神の恵みが豊かに注がれますよう切に願いながら元気な心で、一歩踏み出して参りましょう。


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2019.01.01 Tuesday
cross.png 12月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
恵みを待ち望みながら…

 12月に入り、季節は冬に向かっていますが、季節外れの暖かさで、まだまだ冬本番はもう少し先のようです。さて、私はこんな興味深い物語を見つけました。

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 小さな一つの部屋で四本のローソクが自分の灯りを灯していました。この部屋はローソクたちの囁きが聞こえる程とても静かでした。
 一番目のローソクが嘆き悲しみながら言いました。《私は平和のしるしです。でも、今この世の中は銃や剣は無くならず、争いがない時はありません。それは国同士だけではなく、大切な愛すべき夫婦や兄弟や友人同士でも起きています。私は役に立てず、ふらふらとさまよい歩いているだけです。》話しているうちに灯火はどんどん小さくなり、弱って消えてしまいそうでした。
 二番目のローソクは、何度も首を傾げながら、絶望しているかのように言いました。《私は信仰のしるしです。でも、今の世の中の風潮に流されていたら、私はもう要らなくなり、無用の長物になってしまいます。》話しているうちに、彼も徐々に小さくなって、ノスタルジックな白い煙を放ち、今にも消えそうでした。
 三番目のローソクは、文句たらたらで言いました。《私は愛のしるしです。でも人の為に暗闇を照らす力もない。人々も私を放って置き、私の価値を知ろうともしない。この世を見ていると、人は自分の身近な人さえも愛することが出来ないようです》話が終わると、三本とも完全に消えてしまいました。
 突然一人の少女が部屋に入って来て言いました。《あなたがたは、どうして灯りを灯さないの?この世はどれ程あなたたち・平和・信仰・愛を必要として、何時までもそれを照らしてほしいと願っているでしょう。》
 残りの一本は、暗闇の中の孤独な星のように密やかに応えました。《心配ありません。私は希望です。私が灯火を灯してさえいれば小さくても、弱い火でも平和・信仰・愛の光りを灯し続けることが出来るのです…。》
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 一般的なカレンダーでは、クリスマスシーズンを経て年末となり一年が終わりますが、キリスト教では、新たな一年の典礼暦が待降節から始まります。待降節と言えば、その時を現すシンボルとしてアドヴェント・ローソクが聖堂の内陣におかれる習慣があります。
 一年の始まりに当たり、教会が使う典礼の色は喜びに満ち溢れる荘厳な白ではなく希望のうちにも落ち着きを表す紫です。待降節は希望の時です。一年は希望から始まります。私たちは希望(待降節第一主日)があるから少しずつ平和(第二主日)と繋がり、未来にある目的を喜び(第三主日)で味わう事で信仰を深め、一層愛(第四主日)に生きる事が出来るのです。
 慌ただしい12月だからこそ、私たちは掛け替えのない神の子として「主よ、あなたの慈しみが我らの上にあるように、主を待ち望む我らの上に」(詩篇 33:22)という神の言葉を胸に刻み「豊かにあふれさせてくださいますように」と待ち望みましょう。何故なら全て「神の恵み」だからです。


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2018.12.01 Saturday

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