cross.png 10月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
何もない中にあるもの

 今年は、朝晩の秋風を感じながらも、夏の初めから今日まで厳しい暑さが続いています。自然災害だけではなく、それと連動しているかのような事件や事故が起きています。特に大人に抗えない幼い子供たちが凄絶な被害を受けた事件に心塞がる思いをしたのは私だけではないでしょう。今この時もキャンプ場の森の中で行方不明になっているたった7歳の少女をどれだけ多くの人が必死になって探し、待っていることでしょう。神に祈る度、命の大切さを痛感すると同時に、神の働きを改めて考えてしまいます。大型の台風・大雨・強風は、人々に甚大な被害をもたらしました。商売を諦め止めた人、農家の人々は今年の秋の収穫は何も望めないのか、人間の力ではどうにも出来ないのか、と半ばあきらめています。そんなニュースばかりの中で、97歳で大病を患いながらも、現在も元気な瀬戸内寂聴さんが、「私にとって幸せとは死ぬまで好きなことをやり続けること」とテレビで話しておられました。彼女の話や思いは多くの人を惹き付け、生きる勇気と希望を、それもさりげなく、時にはユーモラスに伝えておられます。年齢を重ね、病気を重ね、すべて頂いたものを神に返して自身は空っぽになりながらも、一方でどれ程心の落ち着き、安らぎといったお金では買えないものを頂いていることでしょう。私にとっては大きな励ましと救いでした。目には見えない豊かさがヒシヒシと感じられました。持っているすべてを破壊され、流されてしまった後に残るものは諦めや絶望感ではなく、新たな希望と逞しさなのです。私たち人間の目には実りは何もないと思っても、何もない中にこそ豊かな収穫があることに、苦しい日々は気付ける目と心が養われたのかもしれません。Barack Obamaは「私たちは、息をしている間、希望します」と言いました。
 そして、聖パウロは「見えるものに対する希望は希望ではありません。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマ8:24)と言っています。間もなくお迎えする教皇様の38年ぶりの訪日という貴重な目に見える形を通して、何を神からのメッセージとして受け止めることが出来るでしょうか。
 ロザリオの月であるこの10月に、聖母マリアと共に、ロザリオの祈りの力に支えられる私たちです。「涙のうちに種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる」という忍耐力と希望を持って、日々の生活の中のどんな出来事にも示される神のみ旨を感じ豊かに生きることが出来ますように、祈って参りましょう。


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2019.10.05 Saturday
cross.png 9月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
再び「だん・しゃ・り」を!

 八月後半に、アマゾンの大規模森林火災によって「地球の肺」と呼ばれるアマゾンの広範囲の緑が消失されました。また猛烈な暑さが長く続いた日本の夏でした。そして更に「これまでに経験したことのないような大雨になる」と頻繁に呼びかけられる報道がありました。この異常気象をきっかけに人間の私たちは、自然環境を無視していることを深く反省して、自然を大切に育むために責任を取らなければなりません。
 教皇フランシスコは毎年九月の第一日曜日を「被造物を大切にする祈願日」と定めておられます。恵まれたこの地に住んでいる私たちは自然の脅威に脅かせられながらも、何とか2ヶ月以上続いてきた暑い夏の季節を秋の気配の中で乗り越えようとしています。九月という夏の締めくくりの時期は「食欲の秋」「収穫の秋」を迎える為には、やるべき事をやらなくてはなりません。
 葡萄や梨などの実りを楽しみにする季節を考えますと、農業の分野では、どれ程水の大切さ、栄養の必要性を知っていても、ただ水を注ぎ栄養を与えているだけなら、葉を育てることは出来ても、実をつけさせることは出来ません。因みに、私は植物の緑色が大好きです。司祭館で沢山の植物を育て、日々葉の色が濃くなることを楽しんでいます。野菜や果物を栽培する人々にとっては、葉の色が濃くならず、実も出来なければ、死活問題です。農家の人々は一番良いものを収穫する為に勇気を持って、どんなに綺麗な葉であっても、キラキラ光る小さな実でも間引いて、捨てることで、初めて一番大切なものを蓄える力が大きくなり、より美味しく、実らせることが出来るのです。自然界においても、良い実りの為には断わる・捨てる・離れる、つまり「だん・しゃ・り」が必要なのです。秋の新学期を迎える子供たちも運動会の準備等を通して、自分の怠け心・弱い心を捨て、皆と協力して団体行動や健康な体作りの大切さを知る良い機会です。
 正にキリスト者も、イエスに従っていく時に、この自然界を見倣って、妨げるものを断ち、捨て去り、離れることで一層成熟して行きたいものです。この「断捨離」は勿論、私たちの力や技術だけで行うものではなく、聖霊の働き、神の力に助けられながら行い、悪いものを乗り越え、豊かに実らせることが出来るのです。「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。」(ヨハネ15:1‐2a)というイエスの言葉を心に留めたいと思います。九月の秋の爽やかさと豊かな実りを待ち望みながら、自分の生活の中で勇気を持って、自分にとっての、キリスト者としての「だん・しゃ・り」を捧げて参りましょう。


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2019.09.16 Monday
cross.png 7月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
命の水を汲み取ろう。

 夏本番が近づいてくるにつれて、ジメジメとして蒸し暑いのは毎年のことで私たちは覚悟していても、今年は想定外の雨が多く、思いがけない大雨の九州、また一方では、水不足や枯渇に悩まされている地域などもあります。やはり夏になると私たちの頭の中は水のことで占められると云っても過言ではないようです。
 一年のどんな時より、自然界の樹々や草花や葉っぱが濃くイキイキと元気に輝いている時です。その輝きの為にも湿度と共に水分は不可欠です。私たち人間もまたこの時期は、どんな時より水分補給を第一に考えるよう何度も言われ、命にかかわる熱中症に罹らないように注意をしています。水なしでは命に関わり、生きることが出来なくなります。水は私たちの生活そのものを反映していると言えるかもしれません。どんなに滾々と湧く水も涸れてしまう時があるように、どんなに沢山のものを持っていても、ある日突然全てが無くなってしまう時もあります。また日々の生活の中でどんなに頑張っても出来ない事もあります。そんな時は、何とかして無くなったもの足りないものを補充して補わなくてはなりません。品物や食べ物は何とかなるでしょうが、私たちの心に潤いが足りなくなり、涸れてしまったら、どうすればよいのでしょうか。
 「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。その源は溢れ出て広場に幾筋もの流れが出来るであろう。」(箴言5:15₋17)と記されている通り、キリストに従って行く私たちは、何より、日々の祈り、特に典礼に参加することによって、神から頂いた命の泉、永遠の水という恵みに満たされます。だから私たちの体に水分が欠かせないように、ミサで命の水を与えられる事は、必要不可欠なのです。
 日本の夏は湿度が高く、外出することを避けたくなる私たちですが、湿度があるからこそ、水分があり、生きるものを活かしていくことが出来ます。キリスト者も「渇いている人は誰でも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ7:37)というイエスの招きを信じて、私たちが出来る「感謝と賛美の祈り」に出来るだけ集い、仲間と共にキリストとに繋がって行きましょう。厳しくなる暑さに向いますが、この夏の時を豊かな実りに変えて、永遠の命に至る水を汲み取りましょう。


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2019.07.07 Sunday
cross.png 6月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
心の渇きを感じませんか?

 今年は夏に入る前から暑い日が続いていて、一体今年の夏本番はどうなるのかと心配になる程です。多くの人が気温の変化に体がついて行けず、その上日々の生活の中で起る様々な出来事に疲れ、心の奥深い所で、不安を感じながら生きているようです。例えば交通事故です。事故の原因には様々な要因があるのでしょうが、何故これ程文化も技術も進んでいる現代に自動車事故が多発しているのかと、大きな不安を感じます。特に小さな子供が犠牲になってしまう事には心が張り裂けそうです。事故の被害者も加害者もそのご家族も、事故の瞬間の恐怖だけではなく、その後も身体的には後遺症が続いたり、精神的にはトラウマになってしまったり、と生活全てが一変しかねません。メディアでその事を知る私たちも二次的に影響を受けていると思います。
 時間や仕事に追われながら生きている私たちは、体の疲れは自分で感じて分かることが多いと思いますが、心の疲れは見ることも気付くことも難しいでしょう。「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛む時は、誰がそれに耐えようか」(箴言18:14)と聖書に記されています。私たちは気付かないうちにどこか無理をしてしまい、思いがけない疲労・倦怠感・ストレスが心の奥に徐々に蓄積されているのではないでしょうか。
 6月は、ちょうど一年の真ん中です。そろそろ疲れが溜まって来る頃です。「体に食べ物が必要なように心にも栄養を与えてゆっくり休ませることが必要です。」体の疲れは色々と癒す方法がありますが、心の疲れは、今の世にある方法では一時的にしか癒してもらえません。カトリック教会では幸いなことに、6月は「聖心の月」と定められています。イエスの聖心に寄り添い、捧げるように招いてくださいます。「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)というイエスのみ言葉はキリスト者にとどまらず、すべての人々にどれ程大きな励ましと支えを与えてくれることでしょうか。
 私たち人間は、心身共に弱く傷つきやすい存在です。そして私たちは一人で生きることは出来ません。今「聖心の月」に「ありのままの自分」を心に留め、イエスにお捧げしたいと思います。今私は、なかなか自動車の運転に慣れることが出来ません。多くの方が応援してくださるのですが、折角用意されている自動車も殆ど使いません。乗ったらどんなに便利で信者さんの訪問ももっと出来るのではないかと思うこともありますが、今の生活ではなかなか勇気が出ません。これが現状です。
 日々の生活の中で、人々と助け合いながら、目に見えない神に信頼することが出来ますように。そして要求されることに疲れた時には、それらのすべてをイエスの前に投げ出しイエスのみ心に包まれ癒されて新たな力を頂きましょう。


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2019.07.07 Sunday
cross.png 5月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
たとえ一輪でも!

 寒い冬から少しずつ春へと季節が移るのかと思っていましたら、激しい気温の差により体も心もついて行けない今日この頃です。それでも春というより初夏を感じさせるような日射しや爽やかな風に体中が解放されて行くかのように感じられます。私たちは自然に、何と大きな影響を受けていることでしょう。
 2週間程前にアメリカのニュース雑誌「タイム」が「世界で最も影響力のある100人」にプロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手を選び話題となりました。まだ21歳の若いテニス選手です。「正直で礼儀正しい彼女ほどグローバル化した多文化社会の将来を象徴できる人はいない。」との推薦文が寄せられていたのです。彼女の信じられない程の努力の賜物と言える素晴らしい活躍には本当に驚かされ、世界中の人々が大きな影響を受けていることと思います。
 キリスト者の私たちにも、多くの人が推薦文を書きたいと思う人物がいます。その人は人類に大きな影響力を持つ聖母マリアです。そして聖アウグスチヌスがあえて「たとえ私たちの体のすべての部分が口になったとしても、聖マリアの価値を賛美するのには十分ではありません」と言われた程で、聖マリアは一人の人間でありながらも、何より従順で勇気があったので、神の子イエスの母、私たちとイエスとの仲介者となられたのです。タイム誌に選ばれることはとても光栄ですが、聖マリアは時間と空間を超えて、もっと長い歴史の中で特別に永遠に選ばれました。聖ヨハネは「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(黙示録12:1)と聖マリアを指しています。私は聖母の冠の十二の星の一つ一つについて「信仰・希望・愛という『対神徳』賢明・勇気・節制・正義という『対人徳』清貧・貞潔・従順という『奉献生活における誓願』柔和・謙遜という『イエスの教えられた徳』」を思い起こし、これらは聖マリアの心の花であることを感じています。
 五月は「花の月」とも言われます。花々や実がその木のエネルギーから出るように「花の月」には、私たちはすべての信心業、つまりロザリオの祈りなどを心から行わなければなりません。私たちの生き方を支え、大きな影響をもたらす聖マリアの生き方を見倣い、その冠で表されている十二の聖霊の実りを輝かせ、キリスト者として、目には見えにくい心の花を育てて行きたいと思います。
 特にこの五月に、私たち自身が日々喜んで生きること、惜しみなく必要な助けを与え明るく声をかけること、人を差別しないことなど愛のわざを積極的に行い、愛の花を沢山咲かせていきたいと思います。それだけではなく、嫉妬、怒り、イライラする心、怠けなど悪い癖にも気づき、それらをも具体的な一輪の花として捧げる心を育てることです。たとえ一輪でも、このような心の花を捧げ、聖母を讃えて生きて参りましょう。


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2019.05.04 Saturday

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