cross.png 7月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
命の水を汲み取ろう。

 夏本番が近づいてくるにつれて、ジメジメとして蒸し暑いのは毎年のことで私たちは覚悟していても、今年は想定外の雨が多く、思いがけない大雨の九州、また一方では、水不足や枯渇に悩まされている地域などもあります。やはり夏になると私たちの頭の中は水のことで占められると云っても過言ではないようです。
 一年のどんな時より、自然界の樹々や草花や葉っぱが濃くイキイキと元気に輝いている時です。その輝きの為にも湿度と共に水分は不可欠です。私たち人間もまたこの時期は、どんな時より水分補給を第一に考えるよう何度も言われ、命にかかわる熱中症に罹らないように注意をしています。水なしでは命に関わり、生きることが出来なくなります。水は私たちの生活そのものを反映していると言えるかもしれません。どんなに滾々と湧く水も涸れてしまう時があるように、どんなに沢山のものを持っていても、ある日突然全てが無くなってしまう時もあります。また日々の生活の中でどんなに頑張っても出来ない事もあります。そんな時は、何とかして無くなったもの足りないものを補充して補わなくてはなりません。品物や食べ物は何とかなるでしょうが、私たちの心に潤いが足りなくなり、涸れてしまったら、どうすればよいのでしょうか。
 「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。その源は溢れ出て広場に幾筋もの流れが出来るであろう。」(箴言5:15₋17)と記されている通り、キリストに従って行く私たちは、何より、日々の祈り、特に典礼に参加することによって、神から頂いた命の泉、永遠の水という恵みに満たされます。だから私たちの体に水分が欠かせないように、ミサで命の水を与えられる事は、必要不可欠なのです。
 日本の夏は湿度が高く、外出することを避けたくなる私たちですが、湿度があるからこそ、水分があり、生きるものを活かしていくことが出来ます。キリスト者も「渇いている人は誰でも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ7:37)というイエスの招きを信じて、私たちが出来る「感謝と賛美の祈り」に出来るだけ集い、仲間と共にキリストとに繋がって行きましょう。厳しくなる暑さに向いますが、この夏の時を豊かな実りに変えて、永遠の命に至る水を汲み取りましょう。


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2019.07.07 Sunday
cross.png 6月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
心の渇きを感じませんか?

 今年は夏に入る前から暑い日が続いていて、一体今年の夏本番はどうなるのかと心配になる程です。多くの人が気温の変化に体がついて行けず、その上日々の生活の中で起る様々な出来事に疲れ、心の奥深い所で、不安を感じながら生きているようです。例えば交通事故です。事故の原因には様々な要因があるのでしょうが、何故これ程文化も技術も進んでいる現代に自動車事故が多発しているのかと、大きな不安を感じます。特に小さな子供が犠牲になってしまう事には心が張り裂けそうです。事故の被害者も加害者もそのご家族も、事故の瞬間の恐怖だけではなく、その後も身体的には後遺症が続いたり、精神的にはトラウマになってしまったり、と生活全てが一変しかねません。メディアでその事を知る私たちも二次的に影響を受けていると思います。
 時間や仕事に追われながら生きている私たちは、体の疲れは自分で感じて分かることが多いと思いますが、心の疲れは見ることも気付くことも難しいでしょう。「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛む時は、誰がそれに耐えようか」(箴言18:14)と聖書に記されています。私たちは気付かないうちにどこか無理をしてしまい、思いがけない疲労・倦怠感・ストレスが心の奥に徐々に蓄積されているのではないでしょうか。
 6月は、ちょうど一年の真ん中です。そろそろ疲れが溜まって来る頃です。「体に食べ物が必要なように心にも栄養を与えてゆっくり休ませることが必要です。」体の疲れは色々と癒す方法がありますが、心の疲れは、今の世にある方法では一時的にしか癒してもらえません。カトリック教会では幸いなことに、6月は「聖心の月」と定められています。イエスの聖心に寄り添い、捧げるように招いてくださいます。「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)というイエスのみ言葉はキリスト者にとどまらず、すべての人々にどれ程大きな励ましと支えを与えてくれることでしょうか。
 私たち人間は、心身共に弱く傷つきやすい存在です。そして私たちは一人で生きることは出来ません。今「聖心の月」に「ありのままの自分」を心に留め、イエスにお捧げしたいと思います。今私は、なかなか自動車の運転に慣れることが出来ません。多くの方が応援してくださるのですが、折角用意されている自動車も殆ど使いません。乗ったらどんなに便利で信者さんの訪問ももっと出来るのではないかと思うこともありますが、今の生活ではなかなか勇気が出ません。これが現状です。
 日々の生活の中で、人々と助け合いながら、目に見えない神に信頼することが出来ますように。そして要求されることに疲れた時には、それらのすべてをイエスの前に投げ出しイエスのみ心に包まれ癒されて新たな力を頂きましょう。


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2019.07.07 Sunday
cross.png 5月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
たとえ一輪でも!

 寒い冬から少しずつ春へと季節が移るのかと思っていましたら、激しい気温の差により体も心もついて行けない今日この頃です。それでも春というより初夏を感じさせるような日射しや爽やかな風に体中が解放されて行くかのように感じられます。私たちは自然に、何と大きな影響を受けていることでしょう。
 2週間程前にアメリカのニュース雑誌「タイム」が「世界で最も影響力のある100人」にプロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手を選び話題となりました。まだ21歳の若いテニス選手です。「正直で礼儀正しい彼女ほどグローバル化した多文化社会の将来を象徴できる人はいない。」との推薦文が寄せられていたのです。彼女の信じられない程の努力の賜物と言える素晴らしい活躍には本当に驚かされ、世界中の人々が大きな影響を受けていることと思います。
 キリスト者の私たちにも、多くの人が推薦文を書きたいと思う人物がいます。その人は人類に大きな影響力を持つ聖母マリアです。そして聖アウグスチヌスがあえて「たとえ私たちの体のすべての部分が口になったとしても、聖マリアの価値を賛美するのには十分ではありません」と言われた程で、聖マリアは一人の人間でありながらも、何より従順で勇気があったので、神の子イエスの母、私たちとイエスとの仲介者となられたのです。タイム誌に選ばれることはとても光栄ですが、聖マリアは時間と空間を超えて、もっと長い歴史の中で特別に永遠に選ばれました。聖ヨハネは「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(黙示録12:1)と聖マリアを指しています。私は聖母の冠の十二の星の一つ一つについて「信仰・希望・愛という『対神徳』賢明・勇気・節制・正義という『対人徳』清貧・貞潔・従順という『奉献生活における誓願』柔和・謙遜という『イエスの教えられた徳』」を思い起こし、これらは聖マリアの心の花であることを感じています。
 五月は「花の月」とも言われます。花々や実がその木のエネルギーから出るように「花の月」には、私たちはすべての信心業、つまりロザリオの祈りなどを心から行わなければなりません。私たちの生き方を支え、大きな影響をもたらす聖マリアの生き方を見倣い、その冠で表されている十二の聖霊の実りを輝かせ、キリスト者として、目には見えにくい心の花を育てて行きたいと思います。
 特にこの五月に、私たち自身が日々喜んで生きること、惜しみなく必要な助けを与え明るく声をかけること、人を差別しないことなど愛のわざを積極的に行い、愛の花を沢山咲かせていきたいと思います。それだけではなく、嫉妬、怒り、イライラする心、怠けなど悪い癖にも気づき、それらをも具体的な一輪の花として捧げる心を育てることです。たとえ一輪でも、このような心の花を捧げ、聖母を讃えて生きて参りましょう。


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2019.05.04 Saturday
cross.png 4月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
「元号」を生かして

 今年の輝く春は、温かい日差しを迎えるはずが、桜の花も冷たい風やにわか雨に打たれてお花見ができる期間が延びそうです。それでも、いつものように新年度を迎えて期待と不安の中、真新しいスーツと靴に身を包んだ新社会人や少し大きめの制服に大きな鞄を持っている中高校生たちの姿が目に映ります。この度新たに決まった新元号をドキドキと待ち望んでいた多くの人々は「令和」という新しい元号に新鮮さと驚きを感じたのでしょうか。
 この新年号である「令和」から受ける私の印象は、第二次世界大戦が終わった後に日本人のひたむきな努力による復興と繁栄とそして平和の「昭和」の時代、そこから受け継いだ安定した美しい元号「平成」の時代でした。これからも日本の大きな目的の一つである「平和」を命令と計画によって大切にしようと思える「令和」という元号には、日本が求め続けているものへの決意と覚悟を感じます。「あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり、つまずかせるものはありません。」(詩編119:165)
 私をはじめ多くの人々が知っている「昭和」「平成」そして新たな「令和」の三代に亘って共通して根底に流れている「平和」の為に、これからもお互いを尊重し合って、日本だけではなく世界の平和を維持し、貢献して永遠に平和を保っていかなければなりません。
 平和である事がどれ程大切か日本だけではなく世界中の大きな課題です。一歩間違えばいついかなる所でも戦争が起こりかねない世界情勢です。「令和」は日本の長い歴史の中で248番目の元号です。今の時代に日本から世界に発信出来る「平和」という大切なメッセージだと思います。
 この平和は口先だけのお題目ではありません。むしろ日常生活の隅々まで、そして元号の中にも表現されて、見いだされるものなのです。「キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、…遠く離れているあなたがたにも、また近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」(2エフェソ2:14‐17)とイエス・キリストがもたらしたものです。そして、今四旬節の時に祈りのうちに、この平和を体験している私たちは「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせる為に、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3:15)というみ言葉に照らされて渇ききっている人々の心を潤し、祈りながら一人ひとりに出来ることで平和を実現しましょう。皆さんが主の復活を一層味わうことが出来ますように祈っています。
 主のご復活、おめでとうございます。


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2019.04.07 Sunday
cross.png 3月のメッセージ
トゥ神父
Paulus HA MINH TU, MF
一歩ずつ…

 三月と聞きますと寒さも少しずつ緩み、春の兆しがそこここに感じられます。教会の庭には、冬の間に固くなってしまった土の中に埋もれていた雑草が、いち早く逞しく生え始めています。土の中で新たな芽生えや成長のために、十分力を蓄えることが出来るのは、厳しい冬の寒さがあるからでしょうか。
 社会では、一年ずつ段階を昇っていく子供が新しい幼稚園や学校へ、厳しい冬を越えた受験生が新たな学びの場へ、学校生活を終った若者が社会へ、社会生活の区切りを迎えた人がそれぞれの人生の更なる場へと準備を整えて進んで行く時を間近にしています。
 その規則正しさは、日本の自然の移り変わりと関わりがあることをいつも心に深く感じます。目には見えなくても自然界ではこれ迄の時を振りかえり、次の季節への準備がいつもなされているのです。人間もまた、自然の一部であり、次のステージへと備える為には、これまでのあり方を振りかえる必要があります。
 人は掛け替えのない神様の傑作です。私たちは一人ひとり、いわば神様にこねて頂いて出来上がった器であり、その器をどのように使って生きるかは私たちに委ねられています。聖パウロは「各自で自分の行いを吟味してみなさい」(ガラテヤ6:4)と私たちに呼びかけています。
 一人の陶工がいつも土をこねて器の形を作り、それを焼く時、どんなに自分が過去の記録を見直し、様々な試行錯誤を重ねても、またどんなに精一杯力を入れても、心を込めて準備をしても、その焼き上がりは思うようにはならない、と言っていました。時には思いもしない出来映えで大喜びする事もあるそうですが、次にまた同じように出来る訳でもないのです。すべての条件が誰も気づかないうちに見事に整えられ、働き合う時があるとしか思えません。私たちはただ精一杯、そのときのために、今明日への最高の準備をするだけです。
 どんな時よりも間もなく迎える四旬節を通して自分自身と闘い、周りの人々と和解し、神への祈りを捧げるときです。そのためには、自分自身の振りかえりが必要です。それなしで前に進む事は出来ません。
 高温で何度も焼かれてより良い器が出来るように、回心を通して祈りに支えられながら、私たちの罪や弱さが救いの恵みに一歩ずつ変えられて行くのです。四旬節は正に「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2 コリント6:2)という聖パウロの言葉通りです。
 この恵みの時に、勇気を持って一歩一歩謙虚に振りかえり、一つ一つの行いをよく吟味する事によって、その後に来る輝かしい復活をよりよく味わいましょう。今こそ祈りのうちに、この時を大切に過して参りましょう。


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2019.04.07 Sunday

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