東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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4月のメッセージ

パンデミック中の復活祭

トゥ神父

 今年は異常気象のせいか、早々に桜の開花宣言がありました。そうしているうちに雪が降り、雨が降り、風が吹き、桜も盛りを過ぎていきます。多くの新入生も新社会人も新型コロナウイルス蔓延により、いつものような桜の始まりの時とはなりませんでした。わたしもいつもは精一杯寒さの中で芽吹く花々に励まされ、日射しの中に春を見つけ、吹く風にも季節の移り変りを感じていたのに、と残念な思いです。コロナウイルスの脅威が私たちの前に立ちはだかり、桜が満開でも楽しめず、待ちに待った春を楽しむどころではありません。因みに、教会の桜は聖週間には最高に花を咲かせてくれ、私たちと共に主のご復活を味わい、祝う準備が出来ていました。
 私はこのようなこともあるのだ、と自分自身に言い聞かせながらも、信徒の皆さんとミサを捧げることの出来ない主日、いわば「主日のミサの断食」という大きな犠牲を経験しました。勿論、新型コロナウイルスの蔓延を食い止めるためにそうせざるを得なかったからです。共に集い、共に捧げるミサが無く、苦しく辛い思いをしたのは当然信徒の皆さんも同じです。私は改めて主日毎に、教会で皆さんと集える喜びを強く感じました。信徒の皆さんの存在価値、どれ程皆さんに支えられているか、ということを思い知らされました。
 教会だけではなく、私たちの生活の隅々に至るまでコロナウイルスに影響されています。一般社会を見ても、特に新学期や新年度を迎えるに当たって、学校に行けない子供たち、仕事に行けない大人たち、暖かくなり、やっと気軽に外出しようと思っていた人々が家から出られません。ウイルスはもはや誰か一人の病気ではなく、パンデミックという世界中の人々の命を奪う危険な存在になっています。
 私たちの社会は大きく変化せざるを得ません。喜びのうちに迎えようとしていたオリンピックも延期を余儀なくされ、残念に思ったり、戸惑ったり、不安に思っている方も大勢います。いつも当たり前と思って過ごしていた日々は、本当に神様からの大きな恵みだったことに改めて気付かされました。そして思いもよらない状況の中で、今私たちは出来ることを、勇気を持って行い、多くのことに気付かされました。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れる時には、称賛と光栄と誉とをもたらすのです。」(1ペトロ1:7)で分かるように、今は私たちが頂いた信仰を生きる意味を改めて見つめ直す良い機会です。日々の祈りの持つ力を発揮すべき時です。キリスト者としてそれぞれの場にいながらも、信仰に結ばれ、祈りへの信頼を失わず祈り続けて行く時です。
 今世界中にコロナウイルスが広がり、人々が危機にある時に、キリスト者である私たちは、「あなたがたは、起ろうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21-36)というみ言葉を心に留めなければなりません。この状況に戸惑いながらも何とか前向きに進んで行かなければなりません。教皇フランシスコも様々な形で私たちに呼びかけ共に心を合わせて祈ることを強く勧めておられます。
 多くの感染者と犠牲者を出しているイタリアで、ある歌手は「わたしは生まれ変わる。あなたも生まれ変わる」と歌い、生きる人々への希望を響かせています。私たち共同体も一人ひとりが「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」(1ペトロ1:3)という揺るぎない信仰を持って、迎えるご復活には、神様に笑顔を向けることが出来ますように祈りましょう。教会からお知らせしている具体的な祈り・行いを通し、一層豊かに心を一つにして過ごして参りましょう。
 主のご復活を心からお祝いいたします。


■追加
 イタリアのフランシスカン大学(フランシスコ会の大学)の一人の司祭が大学校内にあるチャペルの扉に白いリボンをかけ、大学を離れざるを得ない学生たちに「わたしは決してあなたがたを忘れない」「この中にはいつも司祭が、キリストがあなたがたを待っている」というメッセージを伝えようとしているという英字記事がありました。また、著名なビルゲイツさんも、この出来事を通して日々忘れがちなスピリチュアルな面に気付くことが出来るようにというメッセージを発信しています。彼らの受けとめ方から私たちも考える機会としたいと思い、ここに掲載し、紹介させて頂きます。

Ribbons; I will never forget you, by Father Dave Pivonka

 リボンは長い間記憶の印でした。リボンは私たちが誰かを、それが囚人であっても、兵士であっても、病気の友人であっても、その人たちを忘れていないことを世界に伝えます。私はここのフランシスカン大学にあるキングチャペルとポルティウンクラチャペルの扉に白いリボンを結びました。彼らの司祭と彼らの神が彼らを忘れていないことを私たちのコミュニティに思い出させるためです。司祭や司教である友人にも同じように呼びかけました。すると彼らは、より多くの司祭や司教たちに私たちと同じようにするよう呼びかけます。
 私の希望は、カトリック信者が教会を歩いたり、車で通り過ぎたりすると、白いリボンが見え、司祭たちが彼らのために祈っていることを知り、その人たちがドアを開けて戻って来る日を待っていることです。また、彼らがそれらのリボンを見た時に、イエスもその日を待っていることを彼らが知っていることも願っています。彼は私たちがもう一度集まることができる日を待ち望んでおり、そして再び、秘跡のうちに私たち全員と一緒にいることができるのです。
 その日はまだここには来ていません。昔のイスラエル人のように、カトリック信者はもう少しさまよう必要があります。しかしイエスは私たちを孤児にしておくわけではありません。彼はまだ私たちと一緒におられます。彼の言葉である私たちの聖書の中におられます。私たちと共に暮らし、共に働き、またはオンラインで出会う人々と共におられるのです。彼は祈りと沈黙の中に、そして彼の創造の美しさの中に私たちと共におられ、やがて春がやってくると彼を讃えて歌うのです。

 それらすべての場所でイエスを探してください。あなたがいるところでイエスを探してください。そして、教会の扉にぶら下がっている白いリボンを見たら、イザヤ書第49章15節の「わたしは決してあなたがたを忘れない」という神の約束を思い出してください。
 混沌と混乱と狂気の真っ只中で、それらのリボンがあなたの司祭がまだあなたと共にいることを、イエスがあなたと共におられることを思い出させてくれるでしょう。そして、近い将来、この流刑が終了し、教会が再開し、司祭たちがそこに立って、喜んであなたを迎える準備が出来ていることを思い出させてくれるでしょう。



ビルゲイツ氏新型コロナウイルスから学べること。

 彼はこう書きました。私たちの身の回りで起きること。良いことであろうと悪いことであろうと、そのすべてにスピリチュアルな目的があると、私は強く信じています。これに関して、瞑想する中で、今回のコロナウイルスに対して感じた私の思いを皆様方に伝えたいと思います。

1) 私たちは皆平等であることを想起させてくれます。文化や宗教、職業の違い、そして経済状況、有名人かどうかも関係ありません。この病気は我々全員に平等に追って来ます。私たちもこの病気同様、全ての人々に対して平等に向かうべきなのかもしれません。私を信じないならトム・ハンクスに聞いてみて下さい。

2) 私たちはすべて繋がっています。ある人に影響があれば、他の人にも影響があるということを思い出させてくれます。このウイルスはパスポートなしで国境を超えます。我々がこれまで作り上げて来た国境と境界線にはほとんど意味がないことを示しているんじゃないでしょうか。私たちが短時間抑圧されることによって人生そのものが抑圧されている多くの人々が存在していることを思い出させてくれます。

3) 私たちにとって、健康がいかに大切なことかを思い出させてくれます。化学物質で汚染された添加物だらけの栄養素の乏しい食品や飲料水を摂るのが当たり前になっています。健康管理をおろそかにすると勿論病気になるわけです。

4) 人生の短さ、そして私たちにとって最も大切なものは何なのかを思い出させてくれます。今回のような異常状態で大切なことは、高齢者や体が弱い人々への思いやりや助け合う気持ちです。パニックになってトイレットペーパーを買い占めることではありません。

5) 私たちの社会が、いかに唯物論的になってしまったかを思い出させてくれます。困難な時こそ、生活に本当に必要なもの(食品・水・薬)を気づかせてくれます。私たちが物欲のおもむくまま欲しがる贅沢品とは対照的な品々です。

6) 家族、そして家庭生活がいかに大切かを思い出させてくれます。今回のような事態を受けて、強制的に家庭に留まることは、家族との絆を強化することに繋がるのではないでしょうか。

7) 私たちの真の仕事というものは、社会的職業ではなく日頃の行いではないでしょうか。私たちがすべき本当の仕事はお互いの面倒を見、お互いを守り、そしてお互いに利益をもたらすことではないでしょうか。

8) 自分たちのエゴを常に認識し合うこと。自分がいかに素晴らしいか、あるいは他人がどれだけ自分を褒めようが、ウイルスが私たちの世界をすぐに止めてしまう可能性は常に存在します。

9) 私たちの自由意志はすぐそこにあります。買いだめに走るなど、自分のことしか考えないのか、もしくは、お互い協力し合い助け合い、共有しあい、サポートし合うことを選ぶのか。困難な時こそ、本当の自分が出ます。

10) 我慢強さを見せるのか、パニックに陥るのか。こういう事態は歴史上、何度も起きており、いつも必ず治って来ました。絶対に過ぎると理解するのか。あるいはパニックに陥り、この世の終わりと捉え、より一層の害をもたらすのか。私たち次第だということを思い出させてくれます。

11) 世の終わりか、あるいは新たな始まりなのか?反省、理解そして間違いから学ぶもの等、立ち止まって考える良い機会かもしれない。新しい歴史のサイクルが始まる良いレッスンになる可能性があります。

12) 私たちの地球そのものが病気ではないのか?トイレットペーパーが棚からなくなる早さを見る感覚で、森林破壊の早さを認識するべきでしょう。私たちが病気になるのは、私たちの地球 (家) が病気だからです。

13) あらゆる困難の後には、いつも安らぎが来ます。人生は自然循環の中にあり、大きなサイクルの中のほんの一部でしかありません。 パニックに陥る必要はまったくありません。 こんな困難の事態も必ず過ぎる日がやってきます。

14) 多くの人々が 新型コロナウイルスを大災害だと捉えていますが、私は *大修正* の良い機会だと思っています。コロナウイルスは私たちが忘れてしまった大切なことを思い出させるためのレッスンをもたらしてくれたのではないでしょうか。今回のことを将来にどう生かすか。それは私たち次第です。



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2020.04.03 Friday
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