cross.png 受難の主日(枝の主日)



受難の主日(枝の主日)

ミサの祈り
 枝の主日をもって、聖週間の始まりが宣言されますが、世界中の多くのキリスト者は一年で一番大切な聖週間を迎えるにあたって、共に祝うことが出来ると望んでいたにもかかわらず、現在の状況によって、このように信徒が参加出来ない形になってしまいました。人の命を第一に考えながら、この場にいなくても、それぞれの場で、祈りのうちに、私たちと共に心を一つにして、新型コロナウイルスと闘っている人々、特に医療関係者の人々が正に受難の時を過ごしていることを心に深く留めましょう。

 枝の主日は、特別に「世界青年」のために祈ります。現代の若者たちが自分たちの若さや元気さなどを過信せず、怠らずに、特に新型コロナウイルスにおいて、弱い人たちのことをよく考えながら、自分の使命を果たすために積極的に与えられた力を発揮していくことが出来ますように。そして、新年度を迎えた若者たちが希望と自信を持って他者のために役立ち、社会に貢献することが出来ますよう、彼らへの祝福を祈りたいと思います。

 さて、今年の一年の始まりから今日に至るまで新型コロナウイルスに翻弄されながら、不安のうちに生きている私たちです。目に見えない小さいウイルスは、本当に今、宇宙のどんなところにも生きることが出来る程発展している私たちの心身を脅かし、殺しつつあるのです。今、ウイルスに感染している人はもちろん、症状が出ていない人も病院に隔離され、日々孤独と孤立の中で苦しんでいます。多くの感染者と犠牲者に脅かされているイタリアでも、感染者の拡大をこれ以上広げないため、必死の防御策がとられていると思いますが、その人々は病気との闘いはもちろん、家族との面会も叶わず、最後に至っても一人です。イエスの受難朗読の出来事の中で、イエス様もそうでした。イエスは一人にされ、更に皆に裏切られたような気持ちになり、孤独を感じていたでしょう。そして、息を引き取る前に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)とご自分の口から出た言葉を通して、父である神にまで見捨てられたような孤独の極みを感じていたでしょう。この孤独を味わったイエスは自分で弁解出来るにもかかわらず、ただ沈黙のうちにおられました。それは神のみ旨に従って穏やかにご自身に起ることを受けとめることが出来たからなのです。
 私たちも特に今の世界のパンデミックの中ですべてが悪に覆われているように思える中でもイエスの生き方を見倣って、わたしたちが直面している事態の中で、この信仰を生きる具体的な行動をもって現さなければならないのです。祈りのうちに、神が望まれることは一体どんなことかを探し求めなら、生きて行かなければなりません。イエスの後について行く私たちも当然、一番孤独を感じられたイエスと共に今新型コロナウイルスで苦しんでいる人々と共にイエスに委ね、イエスの慈しみの心を捧げたいと思います。世界中の100万人以上の感染者の孤独と苦しみを感じながら、その人々にイエスの気持ちを祈りのうちに届けることが出来ますよう祈りたいと思います。
 私たち、また世の中の人々も強い希望を持って、与えられた出来事を乗り越えて一層ご復活の喜びを味わうことが出来ますように、イエスが歩まれた受難の道に入って参りましょう。

祝福された枝
祝福された枝


2020年4月5日
ハー・ミン・トゥ神父

2020.04.05 Sunday
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