cross.png 主の復活(日中ミサ)
第1朗読 使徒言行録      10章34a、37〜43節
第2朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙 5章6b〜8節
福音朗読 ヨハネによる福音書     20章1節〜9節
※ リンクのない朗読箇所はご自身の聖書をお読みください



  
空っぽになっても…

「今日こそ、神が創られた日、喜び歌え この日を共に」というキリスト者の信仰告白を致しましょう。私たちにとって、一番大切な日・復活された主イエスをお祝いする日です。そして、復活された主イエスのもたらされた復活の喜び・永遠の命に私たちも与ることが出来る、私たち一人ひとりの日でもあります。日々の暮らしの中で様々な不安に陥っている私たち、また新型コロナウイルスの脅威により、悲しみの中で復活祭を迎えられた方々も、死に打ち勝って蘇られた主イエスが一人ひとりを力づけ、生きる希望を燃え立たせてくださるように、沢山の祈りを捧げたいと思います。

 皆さん、何年経っても、愛する人の死は私たちの心から離れることはありません。祈るだけではなく、少しでもそばにいたいと思い、ご遺骨をいつまでも自分の家に置いたり、納骨しても度々お墓参りしたりするものです。また、愛する人が大切にしていたものや関わりのあったものを処分することが出来なかったりもします。それは愛する人の死という悲しさ、淋しさの中にあっても再会への大きな希望を心から願うからです。そして亡くなった人が見えなくなっても、かえってその人が身近にいることに気付き、絆が強くなり愛されていたことを痛感して、そこから第二の自分の人生が始まり、変わって行くのです。
 私は「I believe in death/わたしは死を信じます」というある詩を思い出しました。「わたしは死を信じます。死が人の一生の一部で、もっと完全に生きる為に死ぬのです。私たちは一つの段階から次の段階へと生きながら、少しずつ、わがまま、偽り、罪に死ぬ為に生まれたのです。私たちは孤独な時、悲しみの時、死の感覚を味わうのだと思います。そして、信仰を持っている人にとって、死は光を消すことではありません。ただ夜明けが来たので、ランプを消すのです。」という意味だったかと思います。
 復活の信仰については、頭ではなかなか納得し切れないものがあります。二千年前の弟子たちもイエスの死後、大きな後悔と共にどれ程悲しく、淋しく、絶望したことでしょう。弟子たちが描いていたビジョンがまるで消えてしまい、心には満たされることのない悲しみの穴が空いてしまったことでしょう。それでも、愛するイエスに会いたいという心の声から、マグダラのマリアをはじめ弟子たちもお墓参りに行き、そこで空っぽの墓に出会いました。
 一般的に、墓は死に支配されている所です。イエスの死を確認するために墓に行きました。しかし空っぽの墓と出会ったマグダラのマリアや弟子たちは、イエスの墓から石が取り除かれているのを肉体の目で見て、それから頭を巻いていた亜麻布が離れた所に置いてあるのを、じっくり観察して、次に心の目で真理を洞察して、信仰の目で復活のイエスを見ることが出来たのです。死からスタートして復活にゴールする大きな転回です。ですから、主のご復活の日に当たり、教会は葬られたイエスの「空の墓」を私たちに示し、復活されたイエスを祝うように招いています。勿論教会は、この空の墓をイエスの復活の証拠としてではなく、むしろイエスの復活への信仰に導く大切なしるしとして取り上げています。
 空っぽの墓は問いかけています。弟子たちは空っぽの墓を、見て信じたのです。彼らに信じる心を呼び起こさせました。空っぽの墓そのものは何も語らないのに、多くのことを教え、気付かせてくれたのです。そして彼らは少しずつ、イエスが復活されたことを信じるようになったのです。信じるためには、空っぽの墓と亜麻布を見るだけでは、十分ではありません。もう一つの別の目、心の目が必要です。これが大事です。空っぽの墓にはイエスはいないのに、弟子たちは何故信じることが出来たか不思議に思うのではないでしょうか。それは空っぽの墓にはイエスの弟子たちへの愛が溢れていたからです。
 マグダラのマリアもヨハネもペトロもイエスが愛してくれたからこそ、空っぽの墓の出来事を通して心の目で見て気付きました。イエスが亡くなってから、より一層イエスの自分たちへの愛の強さを感じたのです。愛する人の死という大変な悲しみの中にあって気付く、大きな愛なのです。復活されたイエスを伝えられた人々も、次々と人生を変えられていくのです。今まで何も見えなかった私たちが、見えるようになるのです。これが復活です。空っぽの墓は復活のしるしではないのに、復活されたイエスに気付き、心から新たに確信することが出来ます。私たち人間に関心を持ち、赦し、愛し、仕えてくださった方こそが、私たちの救い主です。だから、ミサに与る度に、私たちは「主の死を思い、復活をたたえよう。主が来られるまで」という信仰の神秘を唱え、死を超える命への希望を人々に力強く告げ知らせることを意識しているのです。

 教皇フランシスコは数年前に「復活は慈しみと愛の神秘だから人の言葉で言い表すことは出来ない。」と言われました。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」ということは、人間の理解を超えた出来事です。私たちは日々沈黙のうちに、空っぽの墓に思いを寄せ心からの祈りを通して、イエスの復活の出来事の一つ一つを問い直してみましょう。主のご復活、おめでとうございます。

2020年4月12日
ハー・ミン・トゥ神父

献香2 献香1
復活のロウソクと
聖水への献香
これからキリストの御体と御血になる
献げ物への献香
2020.04.11 Saturday
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