cross.png 復活節第2主日(神のいつくしみの主日)



  
神の愛の豊かさを。

 主の復活を祝った後の八日間、死から復活されたイエスの喜びをゆっくり味わいながら、この八日間の締めくくりとして「神の慈しみ」の祭日を迎えました。それぞれの場で祈りの仲間やミサが挙げられている教会を思い浮かべて、改めて復活の神秘を黙想しながら、主イエスの復活に示された神の慈しみを通して憐れみ深い愛を強く感じたいと思います。そして、新型コロナウイルスの感染拡大により、生活の不安、社会の混乱、心身共に大変な時に直面している多くの人々、今共に苦しんでいる私たちが、神の慈しみを浴びて力付けられながら、更なる生きる希望を見出すことが出来ますように、より一層祈りましょう。

 さて、私たちは生きる限りは、様々な不安や恐怖心を持っています。先が見えない今は、目に見えない新型コロナウイルスへの恐怖が多くの人々の日々のあらゆることにまで影響を及ぼしています。この不安は、私たちを落ち着かなくさせて、より多くの心配を心に残しています。何らかの形で恐れを体験した私たちは、今読まれた福音の弟子たちの気持ちを少し理解出来るのではないでしょうか。
 3年間も共に生活し、師として尊敬したイエスの十字架の死を目の当たりにした弟子たちは、自分の家を閉じて鍵をかけていました。勿論ユダヤ人を恐れているということもありますが、むしろ愛するイエスへの信仰が揺らぎ、半信半疑という不安などの心の葛藤もあったのではないでしょうか。弟子たちの心をよく理解したイエスは現れる度に、まず始めに「あなたがたに平和があるように。」という日常的な挨拶から話しかけました。しかも3度も「シャローム」という挨拶で呼びかけました。これは単に日常生活の挨拶ではなく、それ以上の意味を込めて使っています。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハネ14:27)復活されたイエスから弟子たちへの恵みとしてプレゼントされたものなのです。
 弟子の中には、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない」という疑い深いトマスがいました。実際に見なければ信じることが出来ない後の時代の私たちのようなトマスを「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と具体的な行動で招き呼びかけました。「見なくても信じることが出来る」信仰へと導いておられるのです。傷ついたイエスの脇腹に手を入れてみなければ信じることの出来ない、心固く不完全な私たちも、そろそろ目を覚まし、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」イエスの任務が、弟子たちに分け与えられ、時のしるしを読み解くことを求められていることに気がつく時ではないでしょうか。その任務とはイエスから与えられた「平和」をこの世に伝えることです。弟子たちはイエスから任務だけでなく、息を吹きかけられ、霊を受けました。この霊は、弟子たちを新たに創造するものであり、任務を全う出来るようにと与えられたものです。イエスは必ず任務と共にそれを行う「目には見えない」力をくださっています。使徒ペトロは、第2朗読の中で「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」とはっきり断言して、私たちの信仰を映し出しました。
 トマスをはじめ、弟子たちは、死から復活された輝かしく綺麗な姿のイエスに出会うはずでしたが、釘あとのついた両手と刺し貫かれた脇腹を見て改めてイエスの身に起った出来事の中にある神の慈しみの証人となるように招かれました。私たちも、復活された主イエスと繋がり、新しい息吹を受けて力を頂きながら、神の慈しみ・愛の豊かさの証人として与えられた使命を忠実に果たして参りましょう。

 今わたしは次のような祈りを続けています。
 神の慈しみへの礼拝において、最も重要なのは、神に対する人間の信頼です。神への信頼を起こしながら、イエスの十字架上の死を思い出させる時間、つまり、午後三時に、イエスの受難を黙想し、この受難がもたらした恵みを求めて「神の慈しみへの祈りの花束」の祈りを捧げます。
 普通のロザリオを用いて、次のように唱えましょう。
 初めに「主の祈り・アヴェ・マリア・使徒信条」

 後に、大珠で、つまり主の祈りの珠のところで1回
 「永遠の父よ、わたしたちと全世界のすべての罪のあがないのために、あなたの最愛の子、私たちの主イエス・キリストの御体と御血、ご霊魂と神性をみ前に捧げます。」

 小珠で、つまりアヴェ・マリアの珠のところで10回
 「イエスの大いなる受難によって、わたしと全世界に慈しみを注いでください」

 以上を5連唱えたら、締めくくりに3回
 「聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神よ、わたしたちと全世界を憐れんでください」

 第1朗読の中で、イエスの弟子たち、つまり初代教会は「毎日ひたすら心を一つにして、神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心を持って一緒に食事し、神を賛美します」という信仰生活を築きました。この温かい共同体の姿を、どれ程今の私たちは心の奥深くを熱く燃え立たせながら待ち望んでいることでしょう。私も皆さんにお会い出来る日を思いながら、お祈りさせて頂いています。
 皆さんも体調や時間などが許す限りそれぞれの場で一連でも祈ってみませんか。

2020年4月19日
ハー・ミン・トゥ神父

2020.04.17 Friday
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