cross.png 復活節第3主日



  
正念場

中庭の花
 訪れる人がすっかり少なくなった教会の庭の銀杏の若葉も出始め、色んな花々が一生懸命咲いています。教会に折角咲いた花々も、温かくなった日射しも、時に降り出す雨も、皆さんと共に味わえたらと、つい私は思ってしまいます。私は自然の中には人がいて生き生きとしている風景が好きです。共同体の皆が共に集ってミサが出来なくなってほぼ2ヶ月になりました。忙しい時には、のんびりしたいと強く望んでいたのに、ゆっくり出来る時間が増え過ぎるとかえって心身ともに疲れてしまい、いかに普通の生活が貴重だったのかと振り返る日々です。何事も期待が大きければ大きい程、それが裏切られると、その絶望感は大きくなるものです。多くの人々にとって、待ち望んだ春の訪れと共に、待ちに待った大型連休が間もなく始まりますが、新型コロナウイルス感染拡大により、オンラインの帰省やオンライン飲み会などが呼びかけられています。折角の楽しみがなんとも味気なく物寂しく思います。そして今年の7月に開催予定だったオリンピックが来年に延期になり、どれだけ多くの人が戸惑い、残念に思ったことでしょうか。私たちもそれぞれ大事な予定を変更し、キャンセルすることを余儀なくされ、どれ程心を痛めていることでしょう。仕事を失った人々の中には自分の人生の道が閉ざされてしまったと思った人もいることでしょう。

   

 今日の福音に登場した二人の弟子にとって、イエスはイスラエルを解放してくれる力に満ち溢れた救い主で、この世の王として期待していました。しかしイエスの十字架の死は彼らのイエスに対する期待を裏切り、彼らの希望は完全に打ち砕かれました。確かに期待が大きければ大きいだけ、イエスの死の悲しみと苦しみは深いものです。そのような気持ちでこの二人は首都エルサレムを離れ、自分たちの故郷エマオへ帰って行ったのです。その道中で「二人は暗い顔をして立ち止まった」と記されています。たった今出会って「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」という声をかけてくれた人がイエスだとは分からなかったのですが、この時が、この二人にとっての正念場だったのです。そして二人の弟子は、このイエスを否定することなく、むしろ会話をし続けたからこそ、見事に復活されたイエスであることに気付けたのです。ここに大きなチャンスがありました。もしも二人がイエスを否定し、イエスだと気付かなかったら、彼らは絶望のどん底に突き落とされたままだったでしょう。
 暗く重い気持ちで希望のない中、二人の弟子は復活されたイエスだと気付かないまま、イエスと歩きました。イエスが救い主の受難の必然性を説き、聖書全体にわたって「ご自分について書かれたこと」を説明すると、「我々と共に留まってください」と、この二人はイエスを無理に引き留めて願ったのです。それから、イエスは共に食事し、パンを取って祝福し、裂いて皆に分け与えました。その時、彼らの心の中には、信じる心が燃えていました。彼らは復活されたイエスの姿が自分たちの知っている姿とは異なっていてもイエスだと気付きました。彼らは、目が開かれ、信じ、復活されたイエスに出会ったのです。復活したイエスが彼らに出会う場所は墓ではありませんでした。私たちが復活したイエスに出会う場所も墓ではありません。
 エマオへの道の行き帰りは全く同じですが、とても不思議な道です。始めは、夕暮れにもかかわらず周りも全く見えず、道のりも長く、目的も見えない、絶望と葛藤の中にあったエマオ行きです。しかし復活されたイエスと出会ったと分かると、夜なのに早く歩くことが出来、道のりも短く、正に喜びに満たされ、明るい気持ちを実感しながらのエルサレムへの帰り道です。これがエマオへの道の不思議です。彼らの人生は、復活されたイエスと出会い、生きる意味も生まれ、希望と生き甲斐に満たされ、変えられた、大逆転の人生でした。

 私たち一人ひとりの人生は、いつも平らで穏やかとは限りません。荒波が襲ってくることもあります。まさに今、新型コロナウイルスの感染拡大によって世界中の人々が置かれている状態は、試練や苦しみに遭い、絶望に陥り、先の見えない辛く暗いものです。信仰生活において、私たちの人生はまるで、今日の福音のエルサレムからエマオへ行く道と譬えられます。正にエマオへの道は私たちの道です。
 この道を歩みながら、復活したイエスと出会った喜びを知っている私たちは、祈りのうちに、どんな試練や苦難にあっても、この道を乗り越えて、歩むことが出来るのです。この確信を持って、今この困難の中でワクチンや薬を作りだすために心血を注いでいる人々がいることや、必死の治療や看護によって退院出来る人が増えていること、緊急事態宣言によって新規感染者の増加が少し落ち着いてきていることなど、まだまだ灯火ですが、希望の兆しが見えて来ました。希望への正念場の時です。この希望のうちに、今私たちに出来ることを精一杯果たしていければと思います。たとえ、私たちは共にいなくても、今私たちは正に正念場にいるというこの気付きの時をしっかり捉え、復活されたイエスと出会う喜びを持ち続け、日々お祈りしましょう。

2020年4月26日
ハー・ミン・トゥ神父

2020.04.25 Saturday
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