東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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復活節第5主日


イエスという「道」

 五月は信仰生活において、私たちキリスト者の聖母マリアの月です。特に、五月の第二日曜日は「母の日」です。この日を迎えられたお母さんたち、おめでとうございます。一人ひとりのお母さんの健康を願いながら、日々子供や家族のために一生懸命に働いているご苦労を神が祝福してくださり、一層心豊かになりますように、感謝と尊敬の心を持って祈りたいと思います。私たち一人ひとりには母がおり、たっぷりの栄養と惜しみない愛情に包まれて、私たちはここまで生きてきました。「神は至る所に存在することが出来ないので、母親を創造するのです。」というエジプトの諺がありますが、私たちはお母さんの美しい母性を讃えます。今日一日、母親の存在がどれ程偉大で、また日々どれ程全力を尽くして献身的に私たちを支えているのかを噛み締めてみましょう。
 さて、緊急事態宣言が延長され、必死に頑張っている多くの人々にとっては、裏切られたようで「疲れて先が見えない」などと心を騒がせる日々です。また、相次いで地震が発生し、不安な生活が続いている私たちです。今日の福音の中で「心を騒がせるな。…私の父の家には住む所がたくさんある」というイエスの言葉は、今の私たちの心にピッタリしますが、「主よ、何処へ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道を知ることが出来るでしょうか」というトマスの問いは、正に今の私たち一人ひとりの問いでもあります。
 例えば、皆さんは中原教会まで幾つかの道を通って来られたと思います。それはどんな道でしょうか。その道は一つではなく、狭い道、広い道など色々でしょう。目的は一つ、中原教会への道です。道が造られたのは、目的があるからです。道は自然に出来るものではありません。少なくとも、誰かが何度も何度も歩まなければ道にはなりません。既に道があっても、通る人がいなくなれば道は荒れて、歩くことが出来なくなります。草が生い茂ってしまい、入ることの出来ない危険な道になってしまいます。


 道は偶然出来た道ではなく、私たちを一つの目的地へと導いて行く道です。誰かが造った道です。目的があるからこそ出来た道です。日本の文化の中でも茶道、書道、剣道、柔道などと呼ばれる大切な道があります。
 人気アイドル「嵐」の「Happiness」(作詞:Wonderland 作曲:岡田実音 2007年)では「…遠くまで 遠くまで、どこまでも続く道、君だけの声を聞かせてよ、ずっとそばにいるよ、止めないで、止めないで、ずっと信じる気持ち…。今は名もないつぼみだけど、一つだけのHappiness」と歌われます。小さな幸せの蕾をつないでいけば、未来には大きな幸せの花が咲くのです。
 勿論、多くの人はそれぞれ具体的な目標を持って生きているでしょう。例えば、将来有名な野球選手になりたいという希望を持っている子供は、野球選手になる為の方法を探して努力します。同じようにキリスト者は最終的には、永遠の命に与り、神の家にいく希望を持って努力するのです。
 私たちキリスト者は、選ばれた民、王の系統をひく祭司、聖なる国民、神のものとなった民として、それぞれの場所でイエスへの道「力ある業」を広めていく使命があります。そして私たちイエスを信じる者は、主イエスによって「神の力ある業」を伝える者に変えられるのです。イエスが教えてくださる道はイエス自らの道でもあり、ご自身で開かれ、ご自身が目的でもある道です。イエスの道として何より大切なのは、父である神のみ旨に従い、人を絶えず愛して仕えることです。イエスの道は謙虚な生き方です。「キリストは神の身分でありながら、…かえって自分を無にして、僕の身分になり、…へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6−8参考)。だから、イエスは「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」と弟子たちにはっきり言い、私たちを信頼に満ちた信仰へと導き、御父を示してくださいました。イエスこそ、人間の生きる模範であり、御父の許へ行くための道で、他にはありません。イエスは神に至る道、生きる道を造られた命である方です。更に「私が父の内におり、父が私の内におられる」というイエスの言葉から分かるように、イエスの不思議な業は、イエスのうちにあって彼と共に働く神の力です。イエスと神が一体であるという事を信じる者は、イエスの業を共に行う者になります。
 「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光のなかへと招き入れてくださった方の力ある業を広く伝える力を頂くために」と第二朗読のペトロの言葉によれば、ミサに与る私たちは、イエスと出会うだけなく、イエスの御体を頂くことによってイエスと合体し、一つになるのです。そしてイエスは、自分の行う業よりも「もっと大きな業を行うようになる」と私たちを励まします。イエスを信じる者は苦しいことがあろうとも、必ず道の終わりには、父がイエスと共に迎えてくださるのです。この道が私たちを招いているのです。
 先が見えない中でも、イエスの後を歩む私たちを助けてくださる聖母の取り次ぎを信じて「ロザリオの祈り」を唱え、祈りましょう。「信じる」とは、幼子が母を無条件に慕う理由のいらない心です。この聖母月にその信じる心を思い起こして、どのような状況の中でも「心を騒がせるな。信じなさい」と呼びかけるイエスの道を大切にして行きましょう。


2020年5月10日
ハー・ミン・トゥ神父

2020.05.08 Friday
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