東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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復活節第6主日


キリスト者としての秘訣

 目に眩しい程に緑色の葉がますます濃く、風も強く、五月というよりは初夏のようです。太陽の日差しは、まるで真夏の訪れです。まもなく教会が聖霊の息吹を迎える準備、と言いたい所ですが、残念ながら今年はそれもまだ実感出来ません。しかしこういう時にこそ、キリスト者として日々の祈りのうちに、私たちはイエスが復活されたという神秘を一層味わい、復活への信仰をより強くしたいものです。今程毎日祈る日々もありません。祈りのうちに、自分自身を生かす大切なものを見つけ出すことが出来て、非常に励まされていると思う方々が多いのではないでしょうか。この不安な日々、信じている神に祈ることで心が落ち着き、整理でき、思わぬことに気がついたり、遠く離れている人を思い出して電話をかけたり、手紙を書いたりと、自然とそうしたくなるから不思議です。
 外出自粛という日々は、考えようによっては、自宅では充分な時間があり、やりたいことが出来るチャンスが増えるとも言えます。私もあまり得意とは言えない料理に取り組んでいます。お陰で最近少しずつコツと言いますか、秘訣のようなものが分かって来ました。それは隠し味というようなものでしょうか。隠し味が分かれば分かる程、秘訣を知れば知る程、料理は美味しくなります。皆さんも同じようなことを体験しておられるのではないでしょうか。もちろん日常生活のどの分野にも、恐らく秘訣や隠し味というものがあって、専門の人はその力を生かしていると思います。
 キリスト者にも秘訣や隠し味があります。日々の生活に生かす秘訣や隠し味とは、どんなものでしょうか。
 今日用意されている福音は、イエスは「わたしの掟を受け入れ、それを守る人はわたしを愛する者である」という尊い秘訣を伝え、私たちに残してくださいました。イエスの掟を受け入れて守ることができる時、私たちは掟をくださったイエスのことを信じています。イエスを信じている時を別の言葉で言うと、イエスの愛を知ってイエスを愛している時と言えます。イエスの掟を守るためにはイエスを信じなければならないのです。そして、イエスを信じる理由が「愛」です。
 日々の生活の中で、信じることは生きる前提として必要なことです。今回のコロナ禍での”Stay Home”は私たちがお互いに協力し合えると信じているからこそ出来る取り組みです。また、外出自粛で会えない期間があって友人関係が無くなってしまったという話も聞きません。私たちは信頼し合っているからこそ、日常生活が営めます。そして愛することも出来ます。愛することと信じることは表裏一体です。信じなければ愛することは出来ず、愛がないなら信じることは出来ないのです。
 信じることと愛すること、この二つは正に私たちにとって大切な二つの目です。心の目・信仰の目です。この二つの目ではっきり見るからこそ、一層広く深く見ることが出来るのです。また、信じることと愛すること、この二つは、まるで空を飛ぶ鳥の一対の翼のようにそのバランスで私たちが高く飛ぶのを助けてくれます。私たちは、信仰の目と愛の翼を広げなければ心豊かに生きることが出来ず、神の永遠の交わりに入ることが出来ないのです。ですから、キリスト者は信仰を持って「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい、これがわたしの掟である」というイエスの招きに応えていくのです。
 イエスが御父のもとに戻り、弟子たちから離れていくと、弟子たちは自分の目でイエスを見ることが出来なくなりました。しかしイエスは「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」という約束をしてくださいました。信じるならばいつでも、イエスに会い、イエスと共にいることを感じられます。これは聖霊の働きであり、神の力です。またイエスは「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と宣言しています。ですから私たちが心細く独りになることは無いのです。送られた聖霊に満たされ、共にいてくださるイエスの愛を知って、私たちが互いに愛し合うことこそがイエスが残してくださった秘訣です。
 しかし、日常生活の中で信じること、愛することを大切に生きる人程騙されたりして苦しむことや悲しむことが多いでしょう。第2朗読の「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい」という聖ペトロの教えは私たちキリスト者の確信であり、信仰生活における証拠として示されています。私たちが今は苦しんでいても、神の御心であるイエスを信じイエスを中心に生きて、互いに愛し合うならば、裁きの時に喜びに満たされるという希望を持てるからです。
 今は何でも手にして確かめることが出来て、目に見えないものはないと言って良いでしょう。だから、色々分からなくなって疑ってしまうのです。今、世界の状況は正にそうではないでしょうか。疑い深い世界、愛する難しさ、信じる難しさが増す中で生きている私たちは、キリスト者として愛すること、信じることを改めて考える機会が必要です。その機会は、日々の祈りです。祈りの中で、私たちのうちに送られる聖霊の働きを信じ、愛の掟というキリスト者にとっての大きな秘訣を残されたイエスに従って生きる喜びを深めながら、自分の命まで差し出す愛に倣って、示すことが出来ますように生きて参りましょう。


 

2020年5月17日
ハー・ミン・トゥ神父

2020.05.16 Saturday
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