東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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聖霊降臨


聖霊が燃える時

 肌寒かったり、蒸し暑かったりと不安定で落ち着かないこの頃のお天気は、正に梅雨の走りのようです。有り難いことにようやく「緊急事態宣言」が解除され、重苦しい空気が少し払拭され大いに癒されました。先日は、私の司祭叙階10周年に当たり、思いがけず教会の皆様から素晴らしいお祝いの寄せ書きを頂き、こんな時なのに、と嬉しいサプライズに胸が一杯になりました。教会委員をはじめ、信徒のお一人おひとりに感謝致します。何年経ってもいまだに未熟な私です。自分の努力は微々たるものでしかないと日々感じております。だからこそ、多くの方々の温かいお祈りと神の計り知れないお導きによって、これからも皆さまのために働いていけたらと思っています。今後もよろしくお願い致します。
 緊急事態の49日間は長く感じたのに対して、50日間の復活節の日々はあっという間に過ぎてしまい、何と「聖霊降臨」の祭日を迎えました。復活され天に上げられたイエスが私たちに約束された聖霊を、喜んで迎え、それぞれの場で実感して頂けたらと思います。聖霊の働きとその恵みを頂いている教会−つまりイエスの弟子たちだけではなく私たちにも、人を赦し、愛することが可能になるように祈っていく力が誕生するのです。聖霊が注がれなければ教会が誕生しなかったという意味で、私たちにとっては記念すべき祭日です。
 ところが、この聖霊については、私たちはなかなかピンと来ないかもしれません。第1朗読の「使徒たちの宣教」の中で、聖霊は「激しい風」また「炎のような舌」という、目に見えるしるしとして表現されています。聖霊は燃え立つ炎のように、積極的に生き生きとして躍動している神の姿です。

 私は、この頃「日本昔ばなしの言葉絵本」にはまっています。火を灯す、囲炉裏に関心を持っています。そして、テレビで冬に雪の積もった家の中で囲炉裏に赤々と炎が燃えている光景を観たことがあります。この光景を思い浮かべながらイエスの弟子たちの背景を考えてみました。森や林から拾って集められた、いわば家を造るにも使えず、役に立たない、燃やすだけの薪です。でもこの薪は、囲炉裏に投げ入れられ一旦火がついて燃え出すと、完全に変わります。燃やされた木々は美しく炎を生み出し、寒さを凌ぐことが出来て、その上に料理も作れます。何より周りを明るく照らすのです。夏のキャンプファイアーでも、組まれた木々が燃え出すと、真っ暗闇の中でそこだけが命を与えられたかのようにゆらゆらと炎が動き、大きな力を感じさせられます。価値のないと見られた薪は炎に燃やされることで新たな命を得て、新たな使命に生きるかのようです。聖霊が炎であるならば、薪はイエスの弟子たちと言えるのではないでしょうか。
 今日の福音の冒頭に「週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」とあります。イエスが十字架につけられた時から恐れて戸を閉じていた弟子たちは、心を一つにして集まっていたのではありませんでした。それは弱々しい人間である弟子たちでした。イエスの受難の際に、イエスを拒み去ってしまった弟子たちです。逃げることしか出来ない弟子たちは、イエスへの期待ではなく、闇のような絶望とイエスへの愛を裏切った悲しみを抱きつつ集まっていたことでしょう。そして、弟子たちの心を見通しておられたイエスは復活して彼らに現れ、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われたのです。聖霊が弟子たちの上に降ると、気の弱い臆病な心ははっきりとした勇敢な心へと、彼らの人生が180度変わりました。
 この聖霊を受けた弟子たちは、受け身ではなく特別な使命を頂いた積極的に行動する者に変わったのです。弟子たちの心は聖霊に満たされ、心の奥深くに持っていたタレントを呼び覚まされ、燃え立ちました。「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)という聖パウロの言葉によれば、弟子たちは燃え立つ炎の心を持つことで、力強い愛が生まれてくるのです。その上「誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪が赦される」というイエスに委ねられた権限と共に、弟子たちがこの世界に広がって行きました。
 私たちは弱くはかない者として創られました。自分の力では、どうすることも出来ないことに直面することがあります。しかし、洗礼と堅信の秘跡を通して、私たちは聖霊を受けました。聖霊は一人ひとりの中で力強く躍動しながら、それぞれに神から頂いた賜物やタレントを愛の炎として燃え立たせ、力強く生きています。このタレントや賜物は正に薪です。キリスト者として私たちは、日々の生活の中で、この薪を燃やす火が必要であることに気づくのではないでしょうか。火こそ、私たちの心の中で働く聖霊の力です。
 第2朗読の最後に「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです」という聖パウロの確信に励まされ、その教えを心に刻み、私たちの中におられる聖霊が燃える時を祈りましょう。そして何より大変なこの状況の中に、愛の実践を通して福音の喜びを人々に伝えることが出来ますように、聖霊の息吹・愛の炎を頂き、共に救いの道を歩んで参りましょう。


 

2020年5月31日
ハー・ミン・トゥ神父

2020.05.29 Friday
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