東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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与える命

 6月半ばになりました。もう今年の半分が終わろうとしています。疲れが出てきているのではないでしょうか。仕事や人間関係の疲れもですが、新型コロナウイルス感染の恐れが止まない中、本格的な夏を迎え、蒸し暑さが増して心身共に重く感じている方もいらっしゃると思います。今日から、私たちの待ち望んだミサを再開することが出来ました。長いミサの断食をしたキリスト者として、この喜び以上のものはありません。感謝の心を捧げながらも、新型コロナウイルスに感染しないだけではなく、一刻も早く終息するようにと、暫くの間は条件付きの分散ミサを行います。私たちの信仰の力を一層強く保ち、共に心豊かに過ごして参りましょう。
 さて、本日は生き物について考えてみたいと思います。例えば植物は自然界から水や太陽を与えられて生かされています。人間の私たちの命も、自分で造り上げて育ててきたものではありません。与えられたものであり、生かされてきたものです。今ここにいる私たちは、両親の愛や周囲の方々の愛に育まれ成長してきたに違いありません。ここに人が存在しているということは、親が命をかけて子を産み、誰かの愛に支えられていることの現れです。
 もちろん、私たちが命を保つためには食べること、飲むことも大切です。食べることは多くの人にとって関心のあることであり、そして、また一番の誘惑でもあります。どれだけ食べてもまたお腹が空き、いつまでも完全に満たされることのなく、「食べる」ことは「生きる」ことに似ている、と私は思います。毎日、どんな暑さの中でも、感染の恐怖があっても、朝早くから夜遅くまで、一生懸命に働くことは「生きる」ことです。生きる物は生きる土台である飢え渇きを満たそうと必死に「食べる」ことと「生きる」ことを求めます。その飢え渇きが満たされない時は不安で、心配です。特に、戦争を体験した人々、ベトナムなどを脱出した難民の人々、旱魃(かんばつ)を体験している人々にとって「生きる」ことは「食べる」ことであり、二つは同じ、と言えるのです。
 私には、忘れられないある記事があります。神戸で大震災が発生し、何日間か一つの建物の下に閉じ込められてしまったお母さんと幼児の話です。一生懸命祈りながら、愛する子供を生き残らせるすべを必死に考え、石の破片で自分の手を傷つけ、出血させて幼児に飲ませた、というのです。命に関わることも分かっていながら、我が子を愛することを優先させたのです。幸運にもこのお母さんと子供は無事救助されました。この記事を読んだ私は、最初は半信半疑でしたが、事実だったのです。
 今読まれた福音の中で、「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」というイエスの教えに引っ掛かりユダヤ人は互いに激しく議論した、ということが分かります。人の肉を食べさせるイエスとは、何者なのかと彼らは思ったのです。イエスは、自らが命のパンを与える主であること、更に「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だから」と命のパンである自分を実際に食べるものと表現し食べる行為を強調して、具体的に招いてくださいました。第一朗読の「申命記」にあるように、イスラエルの民を愛してくださった神は、マナと岩から湧き出させた水で荒れ野の旅の間養ってくださいました。この出来事は正に預言として、イエスご自身が命のパンであることを明らかにしたのです。私たちに永遠の命を与え尽くしたイエスは、誰もが食べることが出来るシンプルな食べ物であるパンとぶどう酒という形を残してくださいました。私たちがミサの中でパンとぶどう酒を頂くこと、つまり、イエスの「血と肉」を食べることを通してイエスが私たちの体の中に入り、私たちはキリストに似たものへと変えられ、キリスト信者として一層生かされて行くのです。それは「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」というイエスの約束を通して、ミサの中で頂くパンは、まことの命であるイエスの体だからです。神の愛に感謝しながら、私たちの信仰を成長させ、変えて頂く恵みを心から祈り求めましょう。
 ミサは毎回同じ形式で繰り返され、聖体拝領を無意識に受けている方がいるかも知れません。キリストの御体を頂く前に、神の愛の前に立場は異なってもすべての人が平等であることを意識しましょう。そして、キリストの御体に養われた私たちも、パンとぶどう酒のように生きる力を育み、飢え渇いている人々の体と心を少しでも満たしていくことが出来ますように、願って参りましょう。


 

2020年6月14日
ハー・ミン・トゥ神父

2020.06.13 Saturday
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