東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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年間第13主日


キリスト者としての使命

 21世紀に入ってから、科学はさらに発展しました。不可能と思われていたことが出来るようになったり、難しかったことが劇的に改善されたりしてきました。私たちが望む快適さには、終わりがありません。人は苦しみや死から免れたい、と安楽死さえも真剣に考えられる程です。もちろん、教会の立場はこれを認めていません。楽な方を選んでしまいがちな私たちです。でもイエスは「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と語られ、私たちに苦難と十字架の道を歩むように招かれています。
 この十字架の道へと歩み出す第一歩として「わたしよりも、父や母、息子や娘を愛する者はわたしにふさわしくない」つまり身近な人々への愛を超えてすべての人々への愛というイエスの道を歩むのです。イエスの招きは人間の常識ではついて行けない程厳しいと思ってしまうものです。
 親を敬い大切にすることは、どんな時代でも、どんな国でも民族でも共通の事でしょう。しかし、イエスは「わたしよりも父や母を愛する者はわたしにふさわしくない」と言われ、イエスの弟子としてのあり方を示しています。「あなたの父と母を敬え」と云う十戒の第四番目の掟とは矛盾しているように思えるでしょう。キリストに従う私たちが、親を大切にせずに、イエスの弟子として従って行くことを願って良いのかと思う方もいるでしょう。言うまでもありませんが、十字架への道を歩むイエスに従って行く弟子の覚悟を示すこの言葉は、イエスの弟子とはどういう者なのかが示されています。真のイエスの弟子は徹底的な自己放棄を求められ、またその覚悟がなければなりません。イエスご自身が十字架の上で亡くなられたことが正に弟子への教えです。
 家族や親を大切にして生きる私たちにとって、イエスの求める条件は厳しく、受け入れ難く、親不孝に見えるかもしれません。しかしイエスは、親を大切にするのは当然のことと伝えているのです。例えば、子が成人して愛する配偶者を得、結婚して独立することは親にとって何よりの喜びであり、子を育てる上での目標の一つと言えるでしょう。独立して親の元から離れたからと言って、子は親を敬わない訳ではありません。却って独立して一家を構えたことで、改めて親の存在の大切さに気付き、一層親を敬うことでしょう。しかし、キリスト者としての目的を果たすためには更に様々なことに関わらなければなりません。私自身の例ですが、親がどれ程大切であっても、日本で神のみ国のために働く日々を選択することを決断し、親元を離れて今ここに立たせて頂いています。親と離れているからこそ、互いに祈り合い、目的を果たすことが出来るようにと願います。また力の足りない所に神が力を送って助けてくださると実感することが度々あります。イエスの弟子は神への愛を優先させるために人への愛を否定するのではありません。自分自身ではなく神の働きに信頼し、自分の思いではなく神のみ旨を探し求めながらついて行くのです。これこそが、私にとってキリスト者としての大切な使命だと思っています。
 イエスを証する時に、家族への愛情が妨げになってはならないという事です。イエスは親を大切にしなくても良い、と言われたのではなく、キリストに従うということの大きな意味、厳しさを示されたのです。むしろ、親を大切にしなければ、キリストに従うことも出来ません。真のイエスの弟子は無条件に従うことが最優先だからです。イエスは弟子よりも前に迫害と十字架を耐え忍びました。イエスの弟子の苦難は、師であるイエスが共に担ってくださるのです。イエスは私たちに、忍耐を教えてくださいました。この十字架の道を歩んで行く私たちに自らの自己放棄、死までも捧げることは、無意味ではないことを伝えています。第2朗読の中で「キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなる」という聖パウロの確信は私たちの信仰にも当てはまるものです。また幼き聖テレジアは死ぬ前、周りのシスターたちに「私は死ぬのではありません。命に入るのです。」と言われました。それはこの世で終わる時を迎えても終わるのではなく、復活されたイエスが新しい世界に開いてくださった道に入ることが出来るという十字架への道という意味です。
 「イエスの聖心の月」に当たり、日々祈りのうちに、イエスの聖心を仰ぎ見る私たちは限りない神の愛を強く感じながら、その慈しみを浴びて、心の疲れを取り除かれ、潤されていることと思います。これからも「自分の十字架を担ってわたしに従いなさい。」というイエスの招きに顔を上げ、信仰の道を歩み、救いの希望へ一歩ずつ進んで参りましょう。

2020年6月28日
ハー・ミン・トゥ神父


年間第13主日_印刷用(PDF形式)
2020.06.27 Saturday
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