東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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年間第14主日


本当の謙虚さとは

 7月に入り、本格的な夏の蒸し暑さと今なおコロナ禍による不安と闘っている日々です。記録的な大雨や台風、日本の各地で様々な被害に遭われ苦しんでいる方々を思い起こしながら、一日でも早く安心して暮らしていけますように、たくさんの祈りを捧げたいと思います。

 さて、「北風と太陽」という寓話をご存知ですか。太陽と風が、どちらがより強いかを争っているのです。  ある日人影のない田舎の道を歩いて行くマントの旅人がいます。太陽はすぐに『コートをより早く脱がせた方が勝者だ』と、風に挑戦しました。風は同意して、先に挑戦しました。風が強く吹けば吹く程、マントの人はコートが飛ぶのを恐れてしっかりと押さえ続けました。疲れ果てて、風は挑戦を止めました。その後、太陽の暖かさで、マントの人は暑く感じて、数分も経たないうちにコートを脱ぎました。話の終わりに、著者は「暴力よりも穏やかで優しい方が成功する。」と結論付けています。

 今日の福音の中で、イエスは「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と言われました。現代社会において「大きな魚は小さな魚を食う」また「早い者勝ち」という生き方をしている人からすると、イエスの招きは受け入れ難いはずです。何故なら、力を第一に考える人にとって、柔和で謙虚な人、というのは控えめの自己満足で、受動的であるように見えるからでしょう。でも例えば、この頃テレビで、注目される将棋棋士の藤井聡太さんはどうでしょうか。今月で18歳になりますが、いつも礼儀正しく言葉使いも丁寧で慎重です。偉ぶった処もなく、自分の強さを自慢していません。どの世代にも人気急上昇中です。藤井聡太さんは恐らく、強いからと言って威張らずに、謙虚な人だからこそ、皆に愛されているのではないでしょうか。
 どんな時代でも、謙虚であればあるほど認められ、愛され、信頼されます。謙虚である人は、強さを持っている人なのです。そして柔和さはしばしば謙虚さを伴い、二つで一つの目的を果たすのです。柔和さは、他の人が私たちに近づくこと、謙虚さは私たちとうまくやっていくことを容易にするのです。イエスにとって、柔和と謙虚は最も美しく特別な道徳です。
 第一朗読の中で、ゼカリヤは「見よ、あなたの王が来る。彼は高ぶることがない」と、初めからイエスが柔和で謙虚であることについて預言されました。イエスの全生涯を振り返りますと、小さな赤ちゃんとして馬小屋の中でお生まれになったことで、小さな人間として私たちの中に隠れていらっしゃいます。イエスは私たちの前で偉そうにする人ではなく、私たちの後ろに静かにいる方です。そして、イエスは神なのに、とても小さくなって弟子の足を洗われるのです。イエスは他者を愛しておられるから、いつも静かで怒らず、誰より「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで」本当にとても謙虚な人です。だからこそ、私たちはイエスに惹かれ、イエスは私たちに愛され信頼されるのです。この謙虚な生き方をするように、と声をかけてくださいます。 イエスの言う「柔和で謙遜な者」とは真実に生き、自分の中にいる神様に忠実に生きる人です。言い換えると、第二朗読の中で「霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます」という言葉のように、自己中心の生き方ではなく、神中心の生き方、つまり神の憐れみに信頼して自分の強さを誇らない人です。イエスご自身が柔和、謙虚でおられるように、私たち一人ひとりも人々の中にあって、へりくだるように、招かれています。イエスの「軛」は何故負いやすく、軽いのでしょうか。いつも私たちの横にイエスはいらっしゃるからです。ただいらっしゃるのではありません。いつも共にその「軛」を背負ってくださっています。
 「疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」というイエスのみ言葉は、今不安だらけの私たちに、どれ程大きな癒しと励ましを与えてくださることでしょう。祈りの中で、謙虚な心を持って生きたいという恵みを共に願いましょう。

2020年7月5日
ハー・ミン・トゥ神父


年間第14主日_印刷用(PDF形式)
2020.07.04 Saturday
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