東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


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聖母の被昇天


私たちの慰め、希望である聖母

 猛暑が続く中でも、神の呼びかけに応え、ここに集まって、終戦から75年を迎えるに当たり祈ります。戦争によって生み出された犠牲者を悼み、悲しみのうちに黙祷を捧げたいと思います。特に、今日は「日本カトリック平和旬間」の締めくくり、つまり10日間連続で、すべての人が願う平和について一層思いを深めながら、切なる祈りを通して、私たちの日々の生活の中にある数々の小さな争いや差別、疑いなどへの私たち自身の傾きや思いを認め、少しでもなくしていく努力が出来ますよう、聖母の取り次ぎによって一層祈り求めましょう。

 さて「生きること」と「死ぬこと」は、誰にとっても共通で、等しく与えられています。しかし、わずかな選ばれた人々ですが、亡くなってもその人の生き方や残された業(わざ)が大きな影響を与える人がいます。宗教を問わず、時を超えて多くの人々を惹き付けます。カトリックでは「マザーテレジア・コルカタ」や「ヨハネ・パウロニ世」は、行われた業だけではなく、生き方、その存在そのものが高く讃えられています。逆に「ドイツのヒトラー」や「カンボジアのポルポト」はあまりの残虐さに、その名は今もなお厳しく非難されています。
 恐らくどんな民族、国民でも、讃えられるヒーローの生き方にはとても感動します。この世においてその人たちは、私たちの生きる希望や目標になります。なぜなら、讃えられる人を思い起こし憧れる時、その人がした事、生きていた過去の思い出だけではなく、その人を通して、今生きている私たちにもその存在価値が示され、すべての人の中にその人と同じ可能性を見ることができる、という大きな希望が与えられるからです。
 教会の歴史を振り返ると、いつもどんな時代にも、神のために働いた人たちの列聖や列福を求めることにより、ただ思い起こすだけではなく、その生き方を模範として次の世代の人々の信仰を導いて来ました。もちろんこの聖人たちは、私たちの模範となるためにヒーローになったのではなく、ごく普通の一人の人間でありながらも神が一番という生き方をした、その生き方そのものが、ヒーローとして神から選ばれた人たちだからこそ、尊いのです。そして、その聖人の中では、誰より聖マリアが第1号です。
 マリアは全く私たちと同じです。ナザレの一人の少女として目立たない生活をしていました。しかし、被造物の中の最初の人として、マリアは特別に無原罪であり、イエスと切り離せない存在として、復活されたイエスによってその光栄に与らせてもらうのです。第一朗読の「ヨハネの黙示」の中の「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし」ていた、という箇所に現れる一人の女性の姿は、正に聖母マリアの姿を現しています。主のみ言葉を受けたマリアの姿は、そのみ言葉を生かして生き、宣べ伝える姿勢です。つまり、マリアは神に対して、絶対的信頼をもって生きていたからこそ、山里に向かい、愛に満ち溢れる心を開いて、エリサベトを助けることが出来たのです。
 聖母の被昇天を祝うことは、改めて私たちの体の復活という信仰の証でもあり、私たちの未来の先取りでもあります。「キリストによってすべての人が生かされることになるのです。 ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。 最初にキリスト、 次いで、キリストが来られるときに、 キリストに属している人たち、 次いで、世の終わりが来ます。」このパウロの確信は、私たちの慰め、生きる希望でもあるのです。
 聖母の被昇天を祝うに当たり、教会は、一人ひとりの私たちにマリアのように、主のみ言葉をよく思い巡らすだけではなく、受けたみ言葉を日々の生活の中で実践し、出会う人々を温かく受け入れ、心から人々に仕えることが出来るように招いてくださいます。今、この世で豊かに生きることではなく、私たちの生き方のすべてを通して天の国で報いを受けることを目指して生きて参りましょう。

2020年8月15日
ハー・ミン・トゥ神父

聖母の被昇天_印刷用(PDF形式)
2020.08.14 Friday
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