東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。


トップ

ミサ案内 Mass

アクセス Access

お知らせ Info

初めての方へ

中原教会について

年間行事

行事予定

行事レポート

教会学校

リンク集

更新履歴

主任司祭

今月のメッセージ

福音の分かち合い

勉強会








サイト内の記事を検索  
年間第25主日


神の心の理由

 秋の連休に入り、暑さはまだ残っていますが朝晩は空気も澄んできて、季節の変わり目を実感しています。心身ともに整えながら、実りの秋を感じていきましょう。
 さて、私たちは日々の生活の中で、たくさん汗をかいて働けば、当然たくさんの報いを求めることが出来、そして正しく義務を果たせば、報酬を得る権利を求めることが出来ると思っていませんか。科学や機械文明がこれ以上はないと言える程に発展している現代、人々は何より自分の権利を主張し、正義を要求しているのではないでしょうか。実際私たち一人ひとりも一生懸命働いて、一日の働きに応じて、それに見合った報酬をもらっています。
 そのため今日の福音を耳にした私たちは「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」と発言した人に共感し、不公平で納得出来ないと思うでしょう。では、このお話のメッセージは何なのか考えてみましょう。
 まず、第一朗読「わたしの道はあなたたちの道と異なる…わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。」というイザヤの言葉は、神の道と人の道、神の思いと人の思いの違いを強調しています。人間は自分のことしか考えていません。しかし、神は人となられた神の子を通して、一人ひとりの人間のことを考え、豊かな命と憐れみ深い愛を注いでくださっています。罰を与えるのでもなく、汚れた人間を嫌うのでもなく、むしろ「神に逆らう者は…主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」と、罪を犯し、闇の中にある人間そのものを心配するのが神の心です。
 このイザヤが預言した神の心は今日の福音の中で明らかにされています。このぶどう園の主人は天のお父さんの姿を現し、私たちに神は慈しみに満ちた憐れみ深い神なのだと示しています。私たちにとっての正義とは、善・悪に基づきますが、神にとっての正義は、慈しみと憐れみ深い愛に基づいています。神の心のはかりは善・悪ではなく、ただ憐れみによるものです。なぜなら神は愛だからです。教皇フランシスコは「十字架にこそ、正に神の愛のすべてが現れているのです。神の態度において、正義は慈しみに満ちているが、それに対し、人間の態度は単なる正義に止まっている。」と指摘しています。人となられた神の子イエスは、私たちの心にある合理的な因果関係を法則とした人間の正義を否定しました。
 さらに「私はこの最後の者にも同じように支払ってやりたいのだ」という今日の福音書の最後の言葉を通して示されているのが、私たち人間の企みを超えた神の思いであり、父である神の寛大な心、私たちのお父さんの本来の姿です。神の心は無制限、無条件に、皆に与え尽くします。ぶどう園の主人は、現代の普通に見かける雇い主ではなく、本来あるべき父親の理想像です。だからこそ、働きたい人が来るのをただ待つのではありません。むしろ何度も出かけて行って、一人でも多くの人に声をかけて受け入れようとしています。
 私たち一人ひとりは神のぶどう園に迎え入れられた者です。ぶどう園で働くのは、一日かも知れないし、一日の最後の夕暮れに呼ばれた者かもしれません。私たちは呼ばれた者の喜びと感謝の気持ちを持ってはいても、朝から一日働く労働者のように、他人と比較しながら嫉妬の心を持って過ごしていませんか。また一時間しか働かない人と共に喜んで同じ恵みに感謝しているでしょうか。今日の典礼を通して、私たち一人ひとりは神の傑作として創られ、神に愛されているということを心に留めましょう。そして、神からのメッセージを受け取って考えてみましょう。神に心を向けた私たちは「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。」(ガラテヤ6:4)というパウロの言葉を振り返りながら、キリストを信じる喜びに満たされる毎日になりますように祈りましょう。
 最後になりますが「敬老の日」に先立って、一言お祝いの言葉を贈らせて頂きます。お一人おひとりに与えられた年齢を誠実に生きておられることを心から尊敬申し上げます。また、お一人おひとりが生きて来られた年月と共に体の衰えだけではなく、生活の中での困難や試練も増えて様々な不安や心配、特に新型コロナ感染の影響により、ミサにも参加出来ない辛さもおありでしょう。しかし長く生き、確かな経験を積まれた皆さんは、今日ここに集い私たちに敬老の日を祝う喜びを与えてくださいました。そしてそれは、私たちに大変さを乗り越えた証を生き生きと示してくださっています。どうぞ、神の祝福のもと、これからも一人ひとり与えられた人生を力強く生き、さらに豊かな日々を重ねることが出来ますようにお祈り致します。

年間第25主日_印刷用(PDF形式)


2020年9月20日
ハー・ミン・トゥ神父


2020.09.18 Friday
このページの先頭へ
<< 年間第24主日 | TOPへもどる | 聖堂の施錠について >>